強いぜ!引っ込み思案

大人って、すごいなあと思った。
私も大人2年目に入ったわけなのだけど、所詮、2年目である。


私は、自分の考えていることを、文字の連なりとそこから立ち上がるイメージで定着させているのかな、と思った。
何か、一所懸命伝えたくて話すとき、私は、自分の目の前にうすいうすい真っ白な布が広げられたような気持ちになる。
そこに、口から出した言葉を、色なり形なりをつけて沁みこませる。
こうして文章で書くときは、口から出た言葉はすぐに指に着地するのだけど、実際に人と向かい合って話をしているとき、言葉はふわふわと空中をさまよって、うまく落ちてきてくれない。
そのギャップが、高校3年生から納得できていない。
プレゼンテーションをしているときは、わりにはきはきと話せる。
けれど、本当に自分の中にあることを口にするとき、どうにも冗長な感じになってしまい、いつももどかしい。冗長なものだから、最初と最後が全然つながっていないことなど、しょっちゅう。
何のための言葉だ、と思う。


今日の映画史概説の授業で、「伝説に残る映画史の授業」の話が出てきた。
先週見た『鴛鴦歌合戦』を絶賛したという映画評論家、蓮實重彦氏の授業。
氏は教室にやってきて、「あなたたちは『鴛鴦歌合戦』という映画を見たことがありますか」と聞いたそう。ところが、その教室には(大勢の学生がいたらしいのだが)見たことのある人がいなかった。
氏はそれを見て、「あなたたちは、『鴛鴦歌合戦』を見たことがないということを、恥じてください」と言って、それきり何もしゃべらず、教室を去った、という伝説。
もちろん、伝え聞いて伝え聞いてしたものだから、実際はこんなふうではなかったのだろうけど、「伝説に残る授業」ってすごいなあ、と思った。
小学校から高校までの授業で、「伝説に残る」ものってあるだろうか。
伝説、という言葉の奇妙な響きはさておき、なかなかそんな授業には出会えないだろう。大学の授業、講義ならではだと思う。


とはいうものの、私のこれまでの中にも、いくつか「私的・伝説に残る授業」というものがある。
まず1つ目は、小学校のときの体育の授業。私たちがうるさくしていたら、先生が職員室に引っ込んでしまったのだ。これが、2回くらいあった。(違う先生なのだけど)
私はそういう圧力に冷めた子だったので、ばっかみたい、と思いながら寒い校庭に立っていた。何人かのクラスメイトが、先生にごめんなさいを言いに行くのを見送りつつ。
2つ目は、中学1年生の理科1の授業。クラスの何人かがうるさくしていたら、先生が黒板に、むずかしーい物理の問題(像が反対に映ったり映らなかったりするやつ)をだだーっと書いて、「出来たら呼びに来てください」と言って、準備室に引っ込んでしまった。
こちらは問題があまりにも難しかったので、冷めるひまもなかったのだけど、うるさくしていた子たちが謝りにいって、事なきを得た。多分、当時のクラスメイトはみんな覚えている事件だと思う。


何を話したかったのか、よく分からなくなってしまったが、とにかく「引っ込む」ことの印象は、強い。
だから、「引っ込み思案」な私も、それなりに強いんじゃないかと、自分を励ましてみる。
エイエイオー!


ではまた明日。


michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)

投稿者:torico : 2007年09月21日 22:50

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コメント: 強いぜ!引っ込み思案

学校の先生が職員室に引っ込むことと、引っ込み思案とをリンクさせるのには受けました(笑

みちくさとりこさん(勝手ながら頭の中では“とりこさん”と読んでいます)と同じく、いや、もしかすると違うかもしれませんが、自分も自分の内面的なことを話そうとすると、それに合ういい表現が浮かばず、話が冗長的になってしまったり、辻褄が合わなかったりすることが多々あります。

ただ個人的には、むしろそうなることは当たり前のことで、それを克服するために絵画や彫刻や音楽などで自分の中身を表現するのかな、と最近思っています。

投稿者 とりこさんの漫画が復活しないかなと思っている卜部 : 2007年09月22日 00:58

こんにちは。コメントありがとうございます。
すごく、うれしかったです。

「引っ込み思案」における「思案」ってなんなんでしょう。「気味」みたいな意味なのかなあ。

私の中身は、(今のところ)きっとマンガで表現しているのでしょうね。
とはいうものの、私のマンガはやたらとネームが多く、マンガという概念ともまた違うようだけれども…
それとも本当に自分のことが理解できたのだとしたら、言葉もそれに伴ってうまいこと出てきてくれるようになるのか。

分からないけれど、せめてもう少し、ボキャブラリーを増やすべきなのでしょう…泣

ただ、言葉がぐるぐるしている感じに、「あ、分かる分かる!」となることは、ままあるんじゃないかと思います。
そのぐるぐるこそが、言いたいことの根っこだったり。
不思議な感じです。

投稿者 昨日そんな話がちらりと出たのでその偶然にびっくりしているみちくさとりこ : 2007年09月23日 00:01

『思案』は気が弱く、内向的に考えてしまうような『性格』のことを言っているのでしょうね…、たぶん(←こういうところが引っ込み思案)。

僕は とりこさんのマンガは『漫画』として見ているよりも、『絵本の絵』を見るような感覚でいます。

確かに とりこマンガの画面中には文字が多いですね(すみません、否定はできません…)。
しかし、僕だけかもしれませんが、それらを単に文字や文章として見ているというよりも、絵の一部として見ているというような感覚になります。

文章で描いたマンガ、と言ったところでしょうか。

また、とりこさんが自分の気持ちを普段の生活や日記の中で表現するために格闘している文体が、
未完成でも完成でもない人間の生っぽい姿そのままのように見えて面白いな、と思っています。
不思議な感じですね。

投稿者 人から「うれしい」と言われると自分もうれしくなる卜部 : 2007年09月23日 02:13

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