リアルな美大の日常を
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テキスタイルと、15歳だった私の今日
まだ火曜日なのに、もう金曜日くらいの気持ちな、みちくさとりこです。
今日は、私が今受けている、テキスタイルの授業のお話。
去年のテキスタイル(造形総合科目といって、他学科の授業が履修できます。1年生の教職履修者は工芸の授業を取らなくてはいけなかったので、私はテキスタイルを選びました)はシルクスクリーンだったのですが、今年は「臈纈(ろうけち)染め」。「臈纈」は「蝋けつ」と書くこともありますが、「天平の三纈」=臈纈・纐纈(こうけち・絞り染め)・夾纈(きょうけち・板で布をはさむ)の1つなので、「臈纈」と書くのが本当だろう、と思います。(天平時代からある技法、ということです)
簡単に言ってしまえば、クレヨンで描いた線の上から、水彩絵の具を乗せるのと、同じ要領(と、先生がおっしゃっていました)。蝋で描いた線の上を染料でなぞると、蝋の部分だけ染料をはじき、それ以外のところは染料が布に定着する、というわけです。
今日はその練習ということで、色見本を作りました。綿のハンカチを15等分し、その線を蝋で書きます。そこに、15色の染料を0.3%の濃さにしたものを、くるくると置いていきます。横に15列、それが終わったら、0.7%で縦に15列。そうして、1%の色が完成します。
明日で色見本づくりが終わり、本番の制作に入ります。
参考作品を見たり、臈纈染めとはまったく関係のないテキスタイルアートの作家さんの作品を見たりしていると、私は本当に布というものが好きなんだなあ、と思います。
こんなにわくわくする素材に、会ったことがないような気がする。
最近、とある若い作家さんの作品が、とても好きになった。その人は普段から布を使うわけではないのだけど、時々、作品の中に布を登場させる。
それを全然知らないときに、その人の作品をサイトで見ていて、ふと惹きつけされた作品の素材を見てみたら、布だった。全部というわけではないのだけど。
その時に、ああ、なんだそういうことか、と釈然とした。
そういえば。
私は成人式で友禅の着物を着たのですが、臈纈はそのもっと以前からある技法なのですね。
この春休み、とあるデパートで行われた工芸品展に、足を運んだ。実演もあるということだったので、いろいろと巡りながら。
その時に、名古屋からいらした友禅の職人さんに会って、ちょっとだけ染めさせていただいた。うまいねうまいね、と言われて、なんだかうれしかった。名刺もちゃっかりといただいて、いつかうかがいますね、と言った。
それより以前に、こちらもとある駅の中にある工芸品センター(という名称だったろうか…)で行われていた陶磁器の展示にも行った。そこで備前焼の実演をしていた方とお話をしたら、何とその人がムサビ出身の職人さんをご存知とのことで、紹介していただいた。私は電車に飛び乗ってその人のところまで言って、またもや名刺をいただいて、いつかうかがいます、と言った。その人は、休みになったらぜひ来てくださいね、とにっこりしながらおっしゃった。
それがずっと心残りで、とにかく近いうちに、名古屋と岡山には行かねばなるまい。
話はずいぶん飛びましたが、何というのだろう、工芸に関わる人たちというのは、どうして私と彼らの間にあるものなど、軽々と飛び越えてしまえるのだろう。
それは、「懐が広い」なんていう言葉で表現することもあるけれど、そんなものを感じて、それに全然無理がなくて、私はいつも、すごいなあと憧れる。
それにしたって、私は自分の作品の先が、まったく見えていない。
シルクスクリーンのように型から展開していくわけではないので、一から描いていかなければならない。
これは、困った。
でも、布を触って動く部分は、去年と変わっていないように思う。
何というのだろう、コンクリートにできた水たまりを、上から覗いたときの気持ち、とでも言えばいいのだろうか。そんな気持ちになる。
9.11から6年が経つ。
あまりテレビや新聞で話題になっていないようだけれど、私は、9.11が私に「美大」という選択肢を示したのだと、何となく感じている。
この日は台風が関東に上陸して、私の通っていた中学校は、1日休校になった。
朝、台風のニュースを見ていたら、その合間に、MTV Video Music Awardsで賞を取ったというミュージックビデオが流れた。
それを見て、私はびっくりしてしまった。
その年の夏、私は約3週間の日程で、オーストラリアにホームステイに行った。ホストファミリーのお兄ちゃんが音楽好きで、お休みの日にはいつもMTVを見ていた。そのホスト兄が見せてくれたのが、'N Syncというグループの「POP」という曲のビデオだ。
それがもう、とにかく格好良くて、でもその時には誰の何という曲だか分からなくて、聞くことも出来なくて日本に帰ってきてしまった。
そのビデオが、まさしくそのビデオが、台風ニュース真っ只中のテレビに流れたのだ。
とにかくびっくりした。グループ名と曲名を叩きこんで、忘れないことにした。
その日、午後にはもう晴れだして、なかなか行けなかった病院に行った。その少し前から胃が痛くて、これはどうやら検査したほうがいいらしい、ということになったので、胃カメラの予約を取りに行ったのだった。
家に帰ってきて、おやつを食べてごはんを食べて、AFNを聞いていたら、楽しげな音楽が急に、せっぱつまった声のニュースになった。
私は何をやっていたのかその手を止めて、リビングに行った。
そうして、あの光景が私の目に飛び込んできた。
でも私が何より鮮明に覚えているのは、あのビルから散った大量の紙だ。
そこにはどんなことが書いてあったのだろう、分かるわけもないけれど、誰かが確かに触れた、書いた、読んだ、その紙が、ぎょっとするくらいのすがたで、散っている。
それがずっと忘れられなかった。
しばらくののち、あの日のニューヨークの映像を撮った兄弟のドキュメンタリーを見る機会があった。テレビで放送されたものなので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。
その時に、あのビルを見ながら、そのもとに集まった、多種多様な人々。みんながみんなの言葉で驚き、嘆き、助け合う。
その様子を記録した映像を見て、そしてその中にも映っていたあの紙を見て、中学3年生だった私は、映像ってすごいな、と思った。
9月11日がめぐってくるたびに、そのことを思い出す。
最初に、映像のすごさに気づいたミュージックビデオ。その名前を知った日の、あの出来事。
残すことの力を知った。
そんなことがあってから、私は美大に行くことにした。
少なからず、日本の小さな私にも、あの出来事は影響を及ぼしている。
話がずいぶんとテキスタイルから飛びましたが、今日、話さなくてはいけないと思ったので。
ではまた明日。
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