おしごと その3

昨日は、塾でのアルバイトだった。
先週相談された、パンフレットのアイディアをいくつか持っていく。
すると、どうも反応が悪い。いまいち、というか、かなり納得していないようす。


私の話を聞き終わって塾長がいうには、「そんなに奇抜なものを作らなくても」「ちょっとイラストを入れてくれれば」「ウェブサイトにある素材を使って」、エトセトラ、エトセトラ。


デザイナーにあるまじき感情だとは思うのだけど、奇抜ってなんだい!だったら私じゃなくてもいいじゃない!と、心の中で叫んでしまった。
「奇抜」という言葉は、その語感と相まって、すごく深いものを残す。
辞書(大辞泉)には、

「1.きわめて風変わりで、人の意表をつくこと。また、そのさま。
2.ひときわ優れていること。また、そのさま。」

とあるのだけど、実は全然プラスの言葉じゃないんだな、と昨日納得した。


家に帰る道々、寝ても覚めても、パンフレットのことばかり考えていた。
塾長という、いわばクライアントがいて成り立っていることなのだけど、どうにも合点がいかない。
今朝起きたときに、クーラーのリモコンの電池が切れていて、母親に「単4の電池が欲しい」というところを、「A4の電池が欲しい」と言ってしまうくらい、頭の中をパンフレットにしていた。


「いいもの」はきっと誰が見ても「いいもの」なはずで、それが出来なかった私はまだまだなんだろうなと思ったり、求められているものが誰でも作れそうなものだったら断っちゃおうかなと思ったり、何かそれって高飛車な考え方じゃないか私?と思ったり、およそデザイナーの卵の卵が悩みそうなことは一晩で悩んでみた。


でも負けず嫌いらしい自分は結局、「来週までにサンプルを3種類作ってきます!」と鼻息も荒く言ってしまった。


結局のところ、「こういうものは分からない」だとか「奇抜だ」とかいわれたものは、根本的にはよくないんだろうな、と思った。
どんな形をしていようと、人に「いい」と思わせるものは、そんなこと関係なく「いい」んだろうな、と。


本屋さんに行って、森本千絵さんのインタビューが載っている雑誌、「spoon.」を立ち読み。
いろいろと考える。


私は活動的でもないし、活動的にもなれないだろうし、活動的であることに憧れもしないし、活動的になりたいとも思わないけれど、生きていることが得意なのかなあ、と、ふと思った。
本屋さんからの帰り道で。
世渡り、ともちょっと違うけれど、世渡りがうまいわよね、とはよく言われる。(これは母に)
人の隙間に入り込む、とでも言うのだろうか。
そんなことを思っていた。


頑張ろう、とは思うけれど、頑張ろう、とは思わない。


もっとちゃんと話さなきゃ、と思った。でも、話すことに疲れるときも、ある。
そういうとこに、大人は誤魔化しをきかせなきゃいけないんだろうけど、私はハタチ越えても誤魔化せない。
はてさて、どうしたものか。


ではまた明日。


michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)

投稿者:torico : 2007年08月28日 17:34

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