リアルな美大の日常を
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2007年08月のアーカイブ
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学習指導要領改定案提示
朝、新聞を広げて思わず、ううむ、となった。
(しばらくするとリンク切れになってしまうかと思いますが、ひとまずリンクを張っておきます)
”小学校授業時間、30年ぶり増 高学年は英語も 中教審”(2007年8月31日、朝日新聞)
”小学校の主要教科・体育の時間10%増し、中教審大筋合意”(2007年8月31日、読売新聞)
”30年ぶり授業増 学習指導要領改訂、中教審部会が了承”(2007年8月31日、毎日新聞)
さらに、家に帰ってきて、うむむ。
”中学授業も週1コマ増、総合学習は減 学習指導要領案”(2007年8月31日、朝日新聞)
”中学も授業10%増、主要5教科と保健体育…中教審部会素案”(2007年8月31日、読売新聞)
”授業を年200時間増へ 中学の主要教科など”(2007年8月31日、毎日新聞)
参考:
*文部科学省ウェブサイト
*中央教育審議会ウェブサイト
朝からひとしきり、このことについて母と話をした。
このごろ私が接している小学生たちが、全然本を読まない、という話になった。
私は小さいときから本を読むのが好きだったので、そういう子がよく分からない。分からなくて、困る。いや、つまんない、かったるい、めんどくさい、という気持ちは分かるのだけど、それでもその本質は、よく分かっていない。
それで、「どうして私は本を読むようになったの?」と母に聞いてみたら、「だってあなたが、『ママはどうして本が読めるの?』って聞いてきたから」という答えが返ってきた。
それがとても印象的だった。どうやって「本を読む」なんて言葉を覚えたんだと抗議してみたものの、「だってそう言ってきたんだもん」と言われるばかり。
そんな母は子どものころ、いわゆる「名作」を読むように押しつけられて、読書は好きなのに名作たちは大っ嫌いになったそうだ。どっどどどどうど、のあの人の作品などなどが。
だから私は、一般的に読んでおいた方がいいだろう本、たとえば、ぷかぷかわらうやつとか、以外は自由に読書させてもらった。
ひとりっこだからかもしれないけれど、幼稚園に入る前も、入ってからも、小学校に上がってからも、いちばんそばにいたのは本だったように思う。友だちと遊ばないで図書館に入り浸っていたのは、私。
小学校3年生のとき、放課後の廊下で本を読んでいたら、「みちくささんは本の虫ね」と当時の担任に嫌みたっぷりに言われて(彼女は国語の先生だったのに!)、ふーんだ!と思った、ものだ。
そんなことを、この記事を読んで思い出した。
本を読めば学力が上がるなんて思わないし、申しわけないことに私がその好例だけれど、でも増やすものって、「授業数」でいいのかな?って、ほんの少し教育というものを勉強している美大生は思うのです。
美大生だからって、声高に、「美術の時間を増やせー!」と叫ぶ気はない。美術の授業で育てられるものはあるだろうけれど、それより前の問題は、山ほどあるから。
そんなことを、とりとめもなく話していた。
ただ、ただ、違和感を覚えるのです。これでいいのかなって、とても疑問に思う。
もっと、出来ることはあるんじゃないだろうか。
ではまた明日。
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ハリ系
10月から、日本テレビ系列で「ハリ系」というドラマが始まるそう。
演出のところに名前がある河原雅彦さんが以前から好きで(河原さんは、映画「ハチミツとクローバー」の脚本も書いています。というより、私はもっとそれ以前から河原さんを知っているのですが…)、河原さんのブログで知ったのですが、村川絵梨さんの役どころが「美大生」っていうのが気になるところです。
主演の2人は、NHK朝の連続テレビ小説「風のハルカ」で共演されています。
浪人生だった私は、毎朝ハルカの元気な笑顔に励まされていたものでした。いやこれ、本当に。
だからこのドラマも楽しみ。どんなふうに「美大生」が描かれるのか。
夜遅いけど、録画して見てみよう。
それにしても、村川絵梨ちゃんが1つ年下だったとは…
なんか、みんな、もっともっと頑張ってるなあ…
ではまた明日。
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じゃないか
今日は、アルバイトで、とある高いビルに行った。
窓の外をお掃除のゴンドラが通り過ぎたり、見下ろせば大きな駅だったりで、面白かった。私のはるか下を、小さな人や小さな電車が行き交う。
昔から、「なんとかは高いところが好き」というけれど、私はまさしくその「なんとか」だ。
高校生くらいから、嫌なことがあると都庁にのぼるようになった。都庁の展望台は無料なので、2つの部屋を行ったり来たりしながら、いつまででもいられる。自分の家の方角を眺めたり、新宿駅を眺めたり、もっと遠くを眺めたりしながら時間をすごすと、ちょっとは嫌なことが忘れられるような気がした。
いつから高いところが好きになったんだろう。
ムサビの12号館から見る景色も、すごく好き。特に、夜は。
12号館の上の方にある研究室に行ったことがあって、その時見たムサビの景色は、多分忘れないだろうな、と思う。
いろんな工房で作業をする人。帰っていく人。忘れることと、忘れないこと。
ムサビの夜は、なんだか胸にぐっとくる。
明日から、わりと多くの人の授業が始まる、芸術文化学科2年生。
私はちょっと遅れて、みんないっしょの月曜日から。
成績表が返ってくることに今日気づき、わたわたしています。
落としている授業はないと思うしそう信じたいけれど、そうなると「可」じゃなんだか切ない気がする(ムサビの成績は上から、優・良・可・不可、あと対象外というのもあります)。
中学や高校の時は思わなかったけど、大学生になってからは、真面目に学校に行って真面目に授業を受けて、なるべく良い成績を取ることが、私に出来る唯一の恩返しのような気がするのです。
私は器用ではないので、それ以上のことは出来そうにありません。
つまらない学生生活を送っていると言われようと(サークル!恋愛!青春!飲み!などが皆無)、これでぎりぎりいっぱいなのかなあと。
志が低いのだろうか。いやいや、本当はうらやましいのです。
ではまた明日。
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おしごと その3
昨日は、塾でのアルバイトだった。
先週相談された、パンフレットのアイディアをいくつか持っていく。
すると、どうも反応が悪い。いまいち、というか、かなり納得していないようす。
私の話を聞き終わって塾長がいうには、「そんなに奇抜なものを作らなくても」「ちょっとイラストを入れてくれれば」「ウェブサイトにある素材を使って」、エトセトラ、エトセトラ。
デザイナーにあるまじき感情だとは思うのだけど、奇抜ってなんだい!だったら私じゃなくてもいいじゃない!と、心の中で叫んでしまった。
「奇抜」という言葉は、その語感と相まって、すごく深いものを残す。
辞書(大辞泉)には、
「1.きわめて風変わりで、人の意表をつくこと。また、そのさま。
2.ひときわ優れていること。また、そのさま。」
とあるのだけど、実は全然プラスの言葉じゃないんだな、と昨日納得した。
家に帰る道々、寝ても覚めても、パンフレットのことばかり考えていた。
塾長という、いわばクライアントがいて成り立っていることなのだけど、どうにも合点がいかない。
今朝起きたときに、クーラーのリモコンの電池が切れていて、母親に「単4の電池が欲しい」というところを、「A4の電池が欲しい」と言ってしまうくらい、頭の中をパンフレットにしていた。
「いいもの」はきっと誰が見ても「いいもの」なはずで、それが出来なかった私はまだまだなんだろうなと思ったり、求められているものが誰でも作れそうなものだったら断っちゃおうかなと思ったり、何かそれって高飛車な考え方じゃないか私?と思ったり、およそデザイナーの卵の卵が悩みそうなことは一晩で悩んでみた。
でも負けず嫌いらしい自分は結局、「来週までにサンプルを3種類作ってきます!」と鼻息も荒く言ってしまった。
結局のところ、「こういうものは分からない」だとか「奇抜だ」とかいわれたものは、根本的にはよくないんだろうな、と思った。
どんな形をしていようと、人に「いい」と思わせるものは、そんなこと関係なく「いい」んだろうな、と。
本屋さんに行って、森本千絵さんのインタビューが載っている雑誌、「spoon.」を立ち読み。
いろいろと考える。
私は活動的でもないし、活動的にもなれないだろうし、活動的であることに憧れもしないし、活動的になりたいとも思わないけれど、生きていることが得意なのかなあ、と、ふと思った。
本屋さんからの帰り道で。
世渡り、ともちょっと違うけれど、世渡りがうまいわよね、とはよく言われる。(これは母に)
人の隙間に入り込む、とでも言うのだろうか。
そんなことを思っていた。
頑張ろう、とは思うけれど、頑張ろう、とは思わない。
もっとちゃんと話さなきゃ、と思った。でも、話すことに疲れるときも、ある。
そういうとこに、大人は誤魔化しをきかせなきゃいけないんだろうけど、私はハタチ越えても誤魔化せない。
はてさて、どうしたものか。
ではまた明日。
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夏休みをちょっとまとめる
夏休みが、あと1週間もないことに気づく。
私は、多くの芸文生が履修している授業(ミュゼオロジーII)を取っていないので、日曜日いっぱいまで休みなのですが、来週の月曜日からは毎日4限まで授業があります。
また、あの気の遠くなるほど忙しい、でも楽しいムサビ生活が帰ってくるのか。
そして、このぬくぬくとしたお休み生活は遠のいていくのか。
ムサビは芸術祭の分だけ夏休みが短い(と私は理解している)ので、いつまでも小学生気分で休みの終わりを迎えることになってしまう。
ありがたいことに、宿題(=課題)はすでに終わらせてある。これは、小学生の時からそうだったかな。最後にばたばたとまとめてやる子ではなかった気がする。
この夏休み、なんにもやっていないようで、それなりにはやっていたと思う。
と、自分で自分をほめているうちは成長などないのだろうけれど。
お盆のちょっと前からついこの間まで、小さな展示をやっていました。
グループ展ではなくて、ひとりで。
こんなことをいうと本当にどうしようもないのだけど、ちょっと成長してみたかった。
誰かに見せたい作品がなかったというわけではない。でもそれ以上に、自分で場所を選んだり、そこの人と話をしたり、そこにお金を払ったり、そこに合わせた作品を作ったり、そこに作品を搬入したり、そこでいろんな人に会ったり、いろんな感想をいただいたり、そこから作品を搬出したり、という一連の作業を、やりきってみたかった、という気持ちの方が強い。
終わってみて、私って、人と会うとき本当に私なんだな、と思った。
以前から、「みんなで飲む」とか「みんなで食べる」とか「みんなで作る」とかがすごく苦手で、どうにかせにゃならん、と思っていたのだけど、どうにもならんな、と思ったりした。
もちろん、どうにかせにゃならんときも確実にあるわけなのだけど、しなくてもいいときにどうにかしなきゃいけないって焦ることはないんだな、と思った。
思ってばかりいるけど。
手を抜いてもいいのではなくて、抜いていいときにはちゃんと抜きなさい、という感じだろうか。
美大生のイメージとして、「1人が好き」とか「群れるのが嫌」とかが挙げられると思うのだけど、それと、私のとは、ちょっと違う気がする。
だってみんな何だかんだ言って、「みんなで飲みに行ったり」、「みんなでごはん食べたり」、「みんなで作ったり」するんだもの。
それとも、大学生ってそんなもんなのかなあ。
私はそういう集いに一度も行ったことがないので、未だによく分かりません。見る人が見れば、大学生活の半分くらいを損してるのかもしれないです。
なんにせよ、私は何を大事にしたいか、というのがちょっとだけ分かった気がする。
そんな夏休みだった。
使えない、だめな子かもしれないけど、自分なりの歩きかたで、歩けばいいんだなと思えた。
結局は、「私」しかなくて、すべてが帰ってきてしまうと思うから。
ではまた明日。
明後日からはたてつづけにアルバイト。持つのかなあ、体力。持て、体力。
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おしごと その2
先日頼まれた、アルバイトしている塾のパンフレットについて、いろいろと考えをめぐらせている。
めぐらせている…
先日、友人に「とりこちゃんは人と会うことを大事にしている」と言われ、とてもうれしかった。
私は、人と会うことをうれしく思うし、大切にしたい。それが伝わるような生活をしているんだったら、とてもいいなと思う。
そしてその姿勢が、パンフレットに生かせれば。
どうやっても、私自身と、私が作るものを、そういうところで切り離すことができないなあと、考えています。
ではまた明日。
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音々
昨日、久しぶりに音楽を聞きながら町を歩いた。
去年までは頂き物のiPod shuffleを首からぶら下げて、鷹の台駅と学校を行ったり来たりしていたのだけど、耳にひっかけるイヤホンのスポンジ部分ががべろべろに壊れてしまってからは、周りの景色に集中してずんずん歩くようになっていた。
この間機種変更した携帯は、某ウォークマンの会社のものなので、たくさん音楽を入れられる。
イヤホンも、耳が痛くならないすごくいいやつが、最初から入っていた。
なんだかうれしくなって、久々に音楽を聞きながら夜の町を歩いた。
うしろを歩く人の気配が聞こえるくらいの大きさで。
以前、友人と「音楽を聞きながら歩いていると、ひとりプロモーションビデオを作ってしまう」という話をしたことがあって、そんなことを思い出していた。
音楽を聞きながら見た景色は、不思議と忘れない。
私は、家でもそんなに音楽を聞く方ではないので、耳が寂しい感じがよく分からない。むしろ、うるさくて切ってしまうこと方が多い。
音楽を聞きながら生活していると、不思議と全ての動きに感情が入ってしまうようで、どきどきする。
しかし、夏の夜は、いいものです。
ではまた明日。
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大丈夫か、後期
8時に起きた。
ごはんを食べた。
シーツを替えることにした。
なぜかベッドに寝そべった。
シーツ取りがシーツになった。
昨日の夜、マンションの廊下でセミが鳴いていた。
そのセミは一昨日くらいから廊下でうらっかえしになっていて、きっとここで一生を終えるんだろうなと思っていた。
毎年、うちのベランダや外の廊下や非常階段で、セミが死ぬ。
夜中の2時になっても、じじ、じじじ、と鳴きながら、廊下を移動しているようだった。
朝になってそのことを母親に伝えたら、「でも、私が朝、ゴミを捨てに行った時にはいなかったわよ」と言われた。
セミはどこに行ったんだろう。
どこか土のあるところで死ねたんだろうか。
この暑さは9月半ばまで続くそう。
早く、秋の虫の声が聞きたいなあ。
ではまた明日。
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だらりんこしゃん
以前から気になっていた本を立ち読み。
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「これを読まないと、同期に追い越される」。
自分の中に「同期」という意識がないので(会社で使うイメージがある)、まだ見ぬ同期を想像しながら読む。
よく、役者さんが、「こんな役者は人間的に嫌いだ」というようなことをインタビューで言っている。
私は、その「こんな(役者)」に当てはまることが多くて自分にがっかりするのだけど、この本を読んでもそんな感じになった。
意識して言ってるんだと分かっていても、なんだかなあ、と思ってしまうのです。
ちなみに、この本の著者の1人、平林奈緒美さんは、ムサビの空間演出デザイン学科を卒業なさっています。
少なくとも美術に関わる場所で働いている人たちは、私から見てすごすぎるくらいに元気だ。
毎日毎日のびきって、だらりんこしゃんとしている私は、どうしたらいいんだろうと考えてしまう。
甘いこと言ってんじゃないよ、と全世界から怒られるでしょうが。
毎朝仕事に行く父親を見ると、まったく、1か月も学校を休んで私は何をやってるんだと思う。
だったら動けと言われたらそれまでだし、すべて自分の責任なんだけれど、こう、うまく気持ちを持っていけないなあ、と感じるのである。
いや、分かるんだけれど。
ではまた明日。
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劇団☆新感線「犬顔家の一族の陰謀 金田真一耕助之介の事件です。ノート」@サンシャイン劇場
多分今までもこれからもずっと好きだろう、劇団☆新感線のお芝居を見に行った。
今回は、「ネタもの」「おポンチ系」と呼ばれる、ひたすらに笑いを追求した作品。
ゆるんゆるんで、すごく楽しめた。
新感線はいつもパンフレットが凝っているのだけど、今回のパンフレットは、タイトルにちなんでノートのような作りだった。手触りがとても大学ノート。東學さんの作品です。なるほど!
劇団☆新感線の主宰であり、演出家であり、今回のお芝居の脚本も書いたいのうえひでのりさんがパンフレットに寄せていた文章が、印象に残りました。
昨日の、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん(ナイロン100℃主宰)のブログと、少し重なる部分があったからです。
私は最近のお笑いを、ほとんど見ません。ケラさんがブログで挙げている人たちくらい。
それはなぜかって言ったら、きっとケラさんと同じ理由になると思うのです。
高校1年生くらいのとき、NHKの「爆笑オンエアバトル」を毎週欠かさず見ていました。劇団ひとりや、陣内智則がまだ出ていたころの話です。
審査員のコメントが毎回とても辛く、信用できる人たちが見ているんだなあと思ったものです。
しばらくして、オンエアバトルに出ていた芸人さんたちが、外へ出ていくようになりました。彼らが好きだった私は、自然にその行く先も見るようになり、しかしそこで、ケラさんと同じような気分になったのです。
合わないなあ、と。ひたすら。
芸人さんたちひとりひとりは、そう変わったわけでもないのに。長らく不思議でしたが、ある時、「ああ、お客さんなんだ」と分かりました。
それで、お笑いを見なくなってしまいました。最近久しぶりに見て、面白い人たちにも出会いました。この5年くらい、もったいないことしたなあ(だって私が高校1年生だったころ、トツギーノの升野さんはまだコンビを組んでたんです!トツギーノが流行りだしたころ、見たことある人だなあと調べてびっくりしました)、と思うけれど、やっぱり私も、「あまりこちらに流れてきて頂かなくて結構」と感じてしまうのです。
だから鴻上尚史さんの舞台にアンジャッシュの渡部さんなんかが出てしまうと(2006年「恋愛戯曲」)、どっちも好きなのに、ふと不安になってしまうのです。
でも、かくいう私も、「吉本興業に入ってやろうか」と考えたこと、1度や2度じゃございません。
先月くらいにも考えました。
すごく、近いのだけれど。
ではまた明日。
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すごいすごい
今日は、高校の友だちと会う予定になっていた。
待ち合わせ場所に早く着きすぎてしまったので、近くの大きな本屋さんで時間をつぶすことにした。
後期からの授業や、昨日お願いされたパンフレット作成に備えて、DTPやブックデザインの本を物色。ひとまず近所の図書館で探すことにする。
同じフロアに演劇の本があったので、手に取りぱらぱらと眺める。公共劇場の将来についてなどなど、読む。
その後、別の本を取り、読み始めようとしたその時、「とりこさん…?」と声をかけられた。
何と、大学の友人であった。まさかそんなところで会うとは思っていなかったので、びっくりする。
「今から高校の友だちに会うんだけど、一緒に会う?」と誘って、結局3人で会うことになった。
高校の友だちも、美術を勉強している。
初対面の人たちで、大丈夫かしらなんて思っていたけれど、お互いの授業の話をしたり、ひよっこの考えを話したりして、すごく盛り上がった。3人とも何となく雰囲気が似ていて、それも良かったのかも知れない。3人の共通の興味である、演劇の話も、かなり楽しかった。
2人はすごく打ち解けてくれて、なぜか分からないけど私もとてもうれしかった。
で、改めて、びじゅつってすごいな、と思った。
ではまた明日。
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おしごと
アルバイト先の塾で、パンフレットを作らせてもらうことになった。
今使っているのは、塾長がExcelで作ったもので、彼も言っていたけれど何となく味気ない。
(気づいているのかいないのか、誤字脱字がとても多かったりもする)
美大生の力を貸してもらえませんかと言われて、やってみたいですと答えてしまった。
塾のウェブサイトを作っているプロに頼むと○○円らしいんですが、みちくささんだといくらくらいで出来ますか、なんてリアルな話までされてしまった。
ひとまず、載せるべきデータをいただいて、試作品を作ってみることになった。
勢いで、「DTPデザインも勉強してますし、冊子を作るのは好きです!」なんて言ってしまった。
実際、前期の授業でDTPの最初の最初はやってみたし、冊子を作るのが好きなのは事実だけれど、塾の顔とも言うべきパンフレットなんて、私が手がけてしまっていいのだろうか。
安請け合いしたわけではもちろんないし、いろいろ考えてわくわくするけど、うーん、うまく出来るかなあ。不安。
さっそく今日から、考えてみることにします。うちにIllustratorがないのは痛い。
でも、今のアルバイト先の塾長は、そういうことを考えていて面白い。なんて、偉そうな口ぶりだけれど、そう思う。
今日だって、こんなパンフレットにしてみたい、あんなパンフレットにしてみたい、とたくさんアイディアを持っていて、だったらそのままそれを伝えてみればいいのに、と思ってしまった。
彼はすでにデザインしている。
彼は、アルバイトの先生たちと、なるべく多く、話し合う機会を持ちたいようだ。
小さな町の塾だから出来ること。
DTPデザインの授業中、全然出来ない自分に落ち込んでばかりだったし、いい学生ではなかったと思うけど、やっぱり楽しかった。
何か出来れば、と思います。
ではまた明日。
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そんな日もあるよね
なぜだか分からないけれど、今日はとても調子が悪い。
コンビニに行ってコピーしようと思ったらコピー機が故障中だったり、それじゃあと行ったちょっと遠い写真屋さんのコピー機は、A3が1枚20円だったり、その他にもいろいろと。
小さな引っかかりがたくさん重なる日って、どうしてあるんだろう。
今日、「悪口」と「批判」の違いを考えた。簡単そうでよく分からない。
要は、正当性があるかないかということなのだろうか。
何となくではなく、自分にきちんとした意見があるかどうか。
でもやっぱりよく分からなかった。
クレジットカードを持つことのすごさを思った。
カードを持っていないと、出来ないことがあるって、知ってはいたけれど今日納得した。
昨日、アルバイトの研修に行ったとき、すごく素敵なお店を見つけた。
民家を改装して作ったようなお店。染織の小物を扱っていた。
もしかしたら、本当にそこにお店の人が住んでいるのかも知れない。
今度行く機会があったら中に入ってみたい。
そんな今日でした。
でもまあ、こんな日もあるよね。
ではまた明日。
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大!混!乱!
こんにちは!
手羽さんの懸念通り、あっさり混乱してしまったみちくさです。
まだまだ手羽さんのブログ論はつづくようですので、何とも言えないけど…
私も、6月18日の授業で聞いた一言は、よく分からないのです。
でも、ああ、自分が世界中に見せちゃってるこの情報も、(相手にまかせるとはいえ、必ず)ゴミになっていく(部分がある)んだなあ…、って、とても虚しかったのです。あんまり、そういうようすって考えなかったなって。
そもそも、私は「情報を受け取る人間」として、どちらのタイプにあたるんだろう。
A:必要な情報しかいらないタイプ
B:とりあえず情報を集めるタイプ
どちらかと言えばBになるのかなあ…
例えが変だけど、「基本的には小劇場のお芝居しか見ないのに、今月の国立文楽劇場で何をやってるかも知ってる」みたいな感じかしら。うーん、違いそう。
ジャンルを絞ってBなのかもしれないです。
そしてふと思うのは、私って「共感」をあまり大事にしてないのかな、ということ。
うまく表現できないのだけど、私のイメージとしては、「共感」という言葉は「触発」に似ている。何かひとつの物事があって、そこから、「でもね!」「私はね!」と思うようなこと。手羽さんの言葉を借りれば、「ブログの中に突っ込む隙を残す」。
でも、私のやっていることは、それとは少し違うのかな、と。私が意識しているのは「!」じゃなくて、「……」という感じ。「隙」というイメージではなくて、「重ねる」イメージだろうか…
読んだ人や見た人が、自分の持つものと私の持つものを重ねて、その微妙な微妙な違いを見つけて、「ああ、そんなこともあるんだなあ…」と思うこと、とでも申しましょうか…
その、色合いの違いをじんわり見てほしい、です。それがムサビ日記でやっていることかな。
ちなみに某SNSの日記は、ほとんど私的なメモとして使っています。
特に見た演劇の感想なんかは、「みちくさの観劇歴」という大いなる前提があって書いているものなので、誰にも(多分)分からないけれど書いておきたい。あれをそのままここで書いたら、ムサビ日記じゃなくなっちゃう気がするので書いていません。
「前提なしの日記」を書く場所が、ここなのかなあと。なるべくそう意識して書いています。
この記事を書いていて、小学生だったときのことを思い出した。
私の行っていた小学校は、毎日日記を提出することが義務づけられていた。作文の練習だったらしい。実際、その時にものを書くことの面白さとか記録の面白さを知ったからよかったけれど、ひとつだけ嫌だったのは、毎日先生のコメントがついて返却されることだった。
6年生の時、反抗期だった私は、先生のちょっとした一言に、すごく過剰に反応して日記を書いた。
そうしたら、返ってきた先生のコメントがとても感情的で、私は胸に穴を空けられたような気分になった。ああ、この人はこういうことをするのか、と。
もちろん私だって酷い言葉づかいをしていたし(今読み返すと笑っちゃう)、書いたことはほんの些細なことだったけれど、そのコメントは「あなたの過剰な反応がかわいくない」というようなもので、その時に、私の「!」は塞がれたのかな、と少し思った。
もちろん、そんなことないのだけど。でも、私の「思わせ方」を変えた出来事でもあるかもしれない。あれは。
結局今でも私は、いろんな人のいろんな言動に、ぴょんぴょんと反応してしまう。なるべく「!」にならないようにしながら、でもその人から見れば「!」、よく言われる言葉でいうと、「素直」に。
やっぱり混乱。全然会話が出来ていない気がする。
つづきを読んでからまた考えよう。
ではまた明日。
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形
2年以上、正確には30か月使っていた携帯電話を、今日、機種変更した。
その携帯を買ったのは、浪人が決まった3月。それまで使っていたものが壊れたので、高校卒業祝いにと買ってもらった。切ない卒業祝いだった。笑
そいつはとてもだめな子で、変換をたまに忘れるし(「走る」が変換できず右往左往する)、カメラはぎじぎじだしで、使ったとたんに後悔した。でも、なんだかんだで今日まで使っていた。
お店に機種変更の手続きに行ったとき、カウンターの後ろに粉砕機が見えた。
「指づめ注意」「粉砕するのは解約した回線のみ」
なんていう注意書きが書いてあって、とても怖ろしくなった。
私は、今まで使った携帯を、全部保存している。どれも完璧に壊れたわけではなくて、電池の減りが速くなったとか、PHSから携帯に変えたとか、そんな理由で手放したものだからまだ中身がちゃんと見られる。
それは何か、安心だ。
高校生の時に送ったメール、撮った写真、聞いていた音楽。
今や携帯電話は身体の一部のようなもので、その中にはそれまでの時間が閉じ込められていて、だからそれが粉々になる様子がとても怖いのだと思った。
新しい携帯は、変換がきちんと出来るし、写真もきれいに撮れる。音もすごくきれい。
こんにゃくキューピーちゃんを付けてご機嫌だ。
これから一緒に何を見るんだろう。
ではまた明日。
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劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター(エルサレムver.)」@四季劇場 秋
6月にも見に行ったミュージカルの、バージョンちがいを見に行きました(前回は特に感想を記していません)。
10年前に初めて見て、それからずっと好きなミュージカルです。レパートリーとしては、多分今までの人生でいちばん好き。人生、なんていうと強烈だけれど。
「ジーザス・クライスト=スーパースター」(以下JCS)をやっている隣の劇場、「四季劇場 春」では、ライオンキングが10年目のロングランを迎えます。
今日は、夏休みのお昼の公演、ということもあって、駅から劇場までの道のりに子どもがわんさか!
JCSの客席にも小学校にあがる前くらいの子どもがいて、私はなんだかぐったり(だって開演直前に、いすが低いとかなんとかで大騒ぎして、開演が遅れたのです)。
「親はどんな意図があってミュージカルを見せるのだろう」と思いました。
やはり、「教育」という面が大きいのだろうか。
それこそ小学校にあがる前からミュージカル(「アニー」)を見ていた私は、母にインタビューを決行。実際に、子どもにミュージカルを見せたお母さんに聞いてみました。
私:「なぜ私にミュージカルを見せたのですか?」
母:「私が見たかったから(母は今も昔も大の観劇好き)。それに、あなたは騒いで迷惑をかけるような子どもじゃなかったから、連れて行っても大丈夫かなって思って」
私:「実際静かだった?」
母:「もちろん」
私:「周りの子どもはどうだったの?」
母:「なーんか落ち着いてなかったわねえ。ずっとがやがやしてた」
私:「1年だけ、『アニー』じゃなくて『ピーターパン』を見た時があったよね?あれはどうして?」
母:「アニーに飽きたから」
私:「その後、劇団四季を見るようになったのはどうして?」
母:「ピーターパンがつまんなかったのと、あとはあなたがちょっと大きくなって、そういうのを見せてもいいかなと思うようになったから」
私:「劇団四季で最初に見たのは『美女と野獣』、その後『キャッツ』と続くわけだけど、これは意図的?」
母:「スケジュール的な偶然もあるけど、まあ楽しそうなのを選んだ」
私:「結果として、私はあなたとよくお芝居を見に行くわけだけど、それについてはどう思う?」
母:「…楽しい。ふふふ」
私の母の場合、いい物を見せるとかそういう考えではなくて、「自分が見たい」「だから子どもにも見せたい」でミュージカルを見せていたようです。
その結果、私が観劇を趣味にするようになったのは…、これはDNAなのでしょうか。いくら親が好きで子どもに押しつけても、子どもが好きになるかどうかは分からないわけですから。
去年のことになりますが、電車の中で、女子高生3人組が話している場面に出会いました。どうやら彼女たちは先日、「キャッツ」を学校で見てきたようす。
「○○の役をやってた人がかっこよかった!」「舞台の周りがいろんな形になっててすごく面白かった!」
興奮気味に、大きな声で話す彼女たちの姿を見て、舞台といい出会い方をしてくれたなあと、すごくうれしくなりました。聞いたところ、彼女たちは全員が、舞台初経験。それでこんなに楽しい楽しいと言ってくれて…
でも一方で、いい出会いが出来ない人もたくさんいるんだろうな、と思いました。
今日の子どもたちを見ていても、そう思って複雑な気分になりました。
みんな、楽しい思い出だけを持って帰ってくれるかな?ライオンキングは長丁場だと聞くけど、飽きたり泣いたりしないかな?
ただでさえ、劇場で子どもたちに向けられる視線は痛いものです。私も、そばに子どもがいる観劇は落ち着かない。いつ騒ぐか?騒いだときに保護者は適切に対処してくれるか?不安はお互いにあります。
だからと言って、子どもには子ども向けのお芝居を見せていればいいってものではない。そもそも「子ども向け」ってなんだ?となります。これは、絵本に対する多くの誤解と同じものでしょう。
よく、演劇が嫌いな人のその理由に、「学校で見せられたお芝居がつまらなかったから」というものがあります。学校に来た旅回りの劇団の芝居がすごーくつまらなかったとか、学校単位で連れて行かれたお芝居がすごーくつまらなかったとか、長かったとか。
お芝居の内容が、教訓的なものでつまらなかったという話も聞きます。
私は、そういう人に何が出来るのかなあ…
初めて舞台を見る人に、どうしてあげることが出来るのかなあ…
そんなことを考えながら、見ていました。
私はすごく、幸運な出会い方をしたのだなあと。
毎年ちゃんとパンフレットを買ってくれた両親にも、今さらながら感謝。
「アニー」には同じ年頃の女の子ばかりが出ていたので(今は男の子も出るみたい)、勝手に彼女たちの写真を見ながらライバル視していました。
家に帰って真似する、なんて積極的な子どもじゃなかったけど、家に帰ってパンフレットを読んでまた想像をふくらませて…
女の子だからかもしれないけど、1つの作品からいっぱいの世界を楽しんだものです。
私は今、卒業後の進路として教員を考えています。
その中で、私は演劇に対して何が出来るのだろう。それとも、教員ではなく、もっと直接演劇の普及に関わるような仕事に就いた方がいいのだろうか。
私の演劇に対する興味は尽きず、その興味は至るところへと向けられているので、舞台を見るたびに、ふらふら、ふらふらと迷うのです。
ちょっと最初に書いた疑問と話がずれてしまったけど、最近、そう思います。1本お芝居を見るたびに。
私は、どこにどうやって関わっていけばいいのかなあ。それとも、この位置がいちばん幸せなのかなあ。
私には、なんにもできないのかなあ…
悲しいわけでも悩んでるわけでもないけど、なんにもできなさを感じるこのごろです。
ではまた明日。
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私の頭の中のこと
いつもメモ帳代わりにして、日記や日々考えたことを書いているクロッキー帳のページがなくなったので、近所の文房具屋さんに買いに行きました。
クロッキー帳にメモする習慣は、美大生ならではなんじゃないかと思います。ムサビでは、講義ノートもクロッキーもスケジュールも、全部1冊のクロッキー帳にかいている人をよく見かけます。
私はムサビに入るまで、子ども向けの自由帳をメモ帳にしていました。でもそれだと幼い感じで、紙にも味わいがない。試行錯誤の末、クロッキー帳を買うことになりました。
私が今使っているのは、marumanのクロッキー帳(青)。いちばん小さいサイズのものを、どこに行くにも持ち歩いています。
展示やお芝居のDM(ダイレクトメール。お知らせの手紙)をいただくことが多いので、それがぴったりはさみこめるサイズで大満足。それに、小さくても意外にたくさん書けるのです。
気に入っていたのはそれだけではなくて、自分の家からすぐのお店でも買えるということ。大きいサイズは置いていないのですが、私の使うサイズなら必ず置いてありました。
ところが、その文房具屋さんは先日改装してしまいました。お店のレイアウトが変わったことで、あまり売れない商品は店頭からなくなってしまったようです。
買いに行った私はがく然。でもクロッキー帳はない。しばらく画材屋さんに行く用事もない!それは困った!
というわけで、今日新たに買ったのが、無印良品の文庫本ノートという商品。(リンクを貼った商品の、144枚バージョンです)
以前から存在は知っていたのですが、リング式ではないので完璧に開けないということと、紙の薄さが気がかりで購入をためらっていたものでした。でも今回は、仕方ないので買ってみる。安さも魅力です。
使ってみての感想。
うーん、やっぱりサイズがほんの少し小さい。ハガキを入れるとはみ出してしまう。これはいただけない。(もちろん文庫本ノートに責任はないのですが)
紙の薄さは、クロッキー帳を使い慣れていれば気にならない程度。
完璧に開けないのは、もう仕方ない。真ん中くらいを書くときがちょっと怖い。表紙の薄さは頼りない。少し不安。(実はこのノート専用のカバーも出ているのですが、現在は販売されていないようで、オークションへのリンクしかないので、略。ちなみに作っていたのは、無印良品と言えば、手帳と言えばのあの人です)
うれしいのは、しおりがついていること。これは便利。
でも、学校が始まったら、またクロッキー帳に戻してしまうだろうな。しばらく使って様子を見てみよう。
今月号の装苑には、「クリエーターがこだわる、紙と筆記具」という特集がありました。
様々なクリエーターの、日々使っているメモ帳やペンが載っていて、メモ大好き・文房具大好きな私はすみからすみまで読みました。
今までの雑然としたメモを読み返すと、面白いです。気になった言葉を、今使っているメモ帳に書き写してみたり。私の宝です。
その時の空気だとか、気持ちだとか、匂いだとかが、ぶわっとよみがえるから、ますます面白いのです。
小さいときからの習慣なのかな。でも、おすすめ。
話はとても飛びます。
私は、小学校低学年の時、「単純性股間節炎」という病気(ケガ)をしました。子どもの時によく起こる病気らしく、湿布をもらって安静にして終わりでした。床に座っていて、何の気なしに立ち上がろうと思って、ぐきっとやってしまったのです。
突然立てなくなったのでびっくりしました。痛かったし、好きな水泳もできなかったしで、さんざん。
でもそれ以来、(多分錯覚だけど)股関節がとてもやわらかくなり、記憶に残る病気でした。
今、それが再発しそうになっています。
今朝から、少し動かすとすぐに「ぐきっ」の「ぐk」くらいまでいくのです。あわてて動きを止めるのだけど、不安。
パソコンを使うときや制作をするとき、変なふうに足を曲げているからかと思ったのですが、ウィルス感染という説が、近年では有力だとか(ネットでの情報なので、もちろんもしこんな症状が起こったら、すぐに病院に行ってくださいね)。
それにしても気になるのは、「子どもの病気」だということですよ。
まだまだですね。がっかり。
そうそう、最初に単純性股関節炎になったのは、まだろくに漢字も書けないころで、その時の日記には、「たんじゅんせいこかんせつえんという長い名前のびょうきになった」というようなことが書いてあるのです。「たんじゅんせいこかんせつえん」だけで、ほとんど1行使ってしまった記憶がある。
日記には、そんな面白さも、あるわけです。
おあとがよろしいようで。
ではまた明日。
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毎日がはじめまして
このブログには、アクセス解析の機能がくっついています。
どれくらいのアクセスがあったのか、どんな検索ワードで引っ掛かっているのか、どのブラウザで見ているのか、などが分かる仕組みになっています。
実は今まで、アクセス数にしか関心がありませんでした。今日、久しぶりに「何回目の訪問か」という欄を見てみて、「毎日がはじめましてなんだな」と思ったのです。
ありがたいことに、このブログをほぼ毎日読んでくださっている方も多くいらっしゃいます。一方で、それとほとんど同じくらいの人が、今日初めてこのブログを読むことが分かりました。
ここ最近の気の抜けた記事…
怖ろしくなりました。ひゅるり。
そんな中、手羽さんが紹介していた「ブログを毎日書け」と言われて「よし毎日書くぞ!」と思ったら負けという記事を読んで、さらにへこむ私。
私がブログを書く意味。
思わず、メンバーに応募するときに手羽さんに出したメールを読み返してしまいました。
ああ…「かゆいところに手が届く日記を書きたい」って言ってる…そしてとても強気…(冷や汗)
でもね。
読み返して思うのです。(読み返すのは好きでよく読み返します)
全部しゃべっちゃうことが、このブログのいちばんの特長なのかなあ、と。書くじゃなくて、しゃべる。
自分で書いているからなのか、このブログを読むとそばにちっちゃいみちくさとりこがいるような気分になります。そいつがぺちゃくちゃと、なにからなにまでよくしゃべる。
ちっちゃいみちくさとりこを、世界中に派遣することがこのブログの役割なのかも。(ドッペルゲンガーではないのですよ)
まずは、ちゃんと記事を整理しないと。カテゴリ分けをやってみます。
ではまた明日。
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お掃除
今日は部屋の掃除をした。
いくらいらないものを捨てても部屋がきれいにならない。
引き出しの中から、歴代のお財布が出てきてびっくりした。もう8代目くらいなのだろうか。
中学、高校と使っていた定期入れも出てきて、びりびりになったビニールがなんだか懐かしかった。
最近の定期入れにビニールはない。縁の部分だけで定期を支えてしまう。
あのびりびりは、毎日使った勲章のように思っていたので、大学に入るにあたって定期入れを新調するとき、とても切なかった。
ちなみにお財布は春に買うのが良いそう。「張る」財布に通ずるからだとか。
そんなことを言っていても、もうすぐ秋がきてしまいますね。
9月からの工芸制作、何を取ろう。(教職履修者は必修なのです)
去年に引き続きテキスタイルか、去年出来なかった陶磁か…
悩むのはその2つ。
どちらにせよ工芸は好きなので楽しみ。
フィットネスエチュードという授業も楽しみ。
秋は授業と芸術祭とぱっつんぱっつんなので苦しいけど、楽しみがたくさんあって好きな季節。
受験生のみなさんは、じりじりとしてくるころなのでしょうか…
勉強にデッサンに平面構成にその他もろもろに疲れたら、芸祭にぜひ遊びに来てくださいね。
進学相談会のようなふうではないけれど、頑張らないとダメな受験を頑張るきっかけには、すごくなるはず。
という私が、実は受験生のとき芸祭に行けなかったのです。体調を崩していて。
でもいろいろな経験から思います。
さて、もうひとがんばり。
ではまた明日。
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Piper「ひーはー」@本多劇場2回目/とか
7日にも見たお芝居、「ひーはー」東京公演千秋楽を見て参りました。絶対に当たらないと思って申し込んだチケット。偶然にも当選しました。
もちろん今日も、文句なしに面白く!ちょっと、お芝居を見る自分の気持ち悪さについて考えつつ。
下北沢で、いつもごはんを食べるお店があります。母がすっかり気に入って(いつ行っても空いているという、お店にしてみるとなんだかなあな状況)、下北沢に行くときはいつもそこで。
今日はそのお店で、ほんやりする光景を見た。
私たち母娘がごはんを食べ終わって、抹茶ラテ(母)とあずきラテ(私)を飲んでいるときのこと。お店に新しいお客さんがやってきました。
すごく若くて、黒縁のめがねが似合う、ロックな感じの男の人と、つるんとしたワンピースを着た10歳くらいの女の子。
面喰らう私。だって彼はお父さんにしては若いし、かといってお兄ちゃんというふうでもない。女の子も、そういう感じでいるわけではないし。
彼らは私たちの隣のテーブルに座りました。さっそく観察を開始。
すると男の人、めがねを取る。その下の目、たれていてかわいらしい。そしてけっこういい年齢。そして…女の子に劇似。こりゃ、完全に親子だ。私、さらに面喰らう。
お父さん、料理を注文するとお手洗いに立つ。どうやら彼は常連さんらしい。彼が帰ってきたところで女の子もお手洗いへ。しかし場所が分からないので、お父さんに聞く。すると彼、「行けば分かるから」と教えてくれない。笑
ツンデレ親子だ!
しばらくしてお父さんの定食が運ばれてくる。コロッケ定食。お父さん、無言でおみそしるを女の子に差し出す。女の子、無言で飲む。
完全に親子だ!
なんか、いいもの見た。彼らはずっとそういう感じで、お父さん!娘!ってふうではなかった。
そんな親子、うらやましいなって思った。それは別に、「シモキタでランチ」な状況がうらやましいんじゃなくって、ただただ「仲が良い」ってことがうらやましかった。お父さんがちゃんと、「ちっちゃい女の人」って感じで娘と接しているのがすごく印象的だった。
うちのお父さんじゃ、ああはいかないもんなあ…(この間の旅行で、娘にねだられてこんにゃくキューピー買わされてたもんなあ…)
ちょっと、柳美里さんの小説、「雨と夢のあとに」を思い出させた。(これは舞台化もされている物語です)
友だち親子って批判されることが多いけれど、私は友だちみたいな母を心から尊敬しているし、友だちみたいな関係だからって甘く見るとか軽く見るとかじゃないのですよね。むしろ友だちの方が関係って難しかったりする。相手をどこか尊敬していないと、友だちってやってられんような気がするのです。
私の友だちは皆、尊敬できる人ばかりだなあ。私なんかが友だちでいいのかと、大学に入ってから思うようになりました。
ではまた明日。
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わ
ムサビ日記のメンバーになって、初めての夏休みです。
昨日から今日にかけて更新されている日記に、「夏休みももうすぐ終わり」というテンションのものが多くて、私も焦ります。これは、去年にはなかったこと。
メンバーになるまで、決まった人の日記しか読まなかった私には、このつながりがとてもうれしい。
1年生の夏休みは、バイト、バイトでとても大変でした。疲れました。結果、この記事を書いているパソコンを購入できたので、目的もなくアルバイトしていたわけではないのですが…
でも、大学と切り離されたような1か月とちょっとは、大学にすっぽりはまって走ってきた私には、苦しかったです。
今年の夏休みも大学に行くことはないだろうけれど、でもまだムサビでいられる。
そう思うと、ちょっと気が楽になるのです。
課題は、気が重いですが。
ではまた明日。
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やぶからぼうに
結局、団地のど真ん中でとんかんやるのはあきらめました。
音が響くし、子どもが多い。いろいろな安全のために、あまり人の来ない公園に道具を持っていき、とんかん、とんかん。
やぶ蚊の襲撃にあう。彼らは、時間を見計らってやってきます。
午後には光化学スモッグ注意報も出ていました。
世界堂の袋と東急ハンズの袋を持って玄関を出る私を見て、「まるで美大生ね」と母が申しておりました。
ではまた明日。
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メモ
朝8時起床、朝御飯。9時頃、強烈眠気。
10時半迄、寝。
出掛。
原宿(デザインフェスタギャラリー)〜新宿三丁目(世界堂)〜新宿(ハンズ)。
デザインフェスタギャラリー、面白。
世界堂、品揃、少。意外。(世界堂=最強…筈)
ハンズ、広々。流石。品揃、豊富。色々購入。満足。
明日、作業・制作@団地。金槌、鋸等使用。
注意、注意。
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ブルドッキングヘッドロック「不確かな怪物」@三鷹市芸術文化センター星のホール
取り急ぎメモ程度。
*ブルドッキングヘッドロックウェブサイト
*三鷹市芸術文化センター
ブルドッキングヘッドロックは、この3年くらい見ている劇団。ナイロン100℃に所属する喜安浩平さん主宰です。とても好き。今回はあまり好きでない。でも好き。
初めて行った三鷹市芸術文化センターは、とてもきれいでびっくり。いろいろ調べたいので、今日はここでお開きにします。あんなホールが、日本全国にあればいいのになあ。
ではまた明日。
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Piper「ひーはー」@本多劇場
お芝居は、文句なしに面白く。
キャストが大好きな人ばかりで取ったチケットなので、満足です。もちろん少々の不満はありますが、それはそれこれはこれ。
作・演出の後藤ひろひとさんが得意とする、すれちがいがすれちがいを呼ぶ物語。噛み合うまでに時間はかかれど(演技も流れも)、噛み合った瞬間の笑いがたまらなく。
実はもう1度見に行くので、理解しきったあとの面白さに期待です。
演劇を見に行ったときのもう1つの楽しみは、多分チラシ。束になって席に置いてあったり、半券を切られるついでにもらえたりします。それを開演までや閉演後に読んで、次の予定を立てるのが、わくわくするのです(立てるだけ立てて見に行かないことも多いのですが)。
今日もらったチラシ束の中に、学生演劇の主宰者のインタビューが載っているチラシがありました(たくさんのチラシを束ねる役割をしているチラシです)。
それを読んで、やっぱりどうにも釈然としないなと思う。
彼ら曰く、「演劇がもっと身近なものになればいい」「もっとラフに見に来てほしい」。
芸術文化学科で勉強していても、似たような言葉はよく耳にします。「美術がもっと身近なものになればいい」「もっとラフに美術館に来てほしい」。
私はつねづね、これを疑問に思っています。演劇や美術は、私たちにもっと身近であるべきものなのでしょうか。そう意識すること自体が、演劇や美術を私たちから遠ざけてはいないでしょうか。
私は、演劇も美術も、「特別なもの」と捉えています。
毎日生活していく中では、決してありえないもの。そんなものが、身近になってしまったら怖ろしい。「演劇・美術=非日常」とは言い切れませんが、日常であるとも言い切れない。そんなものを、学校帰りにふらりと見に行けるようになってしまったら、私のある場所って、すごく簡単に揺らいでしまうのではないかと思うのです。
誤解を怖れずに言えば、演劇も美術も、気持ち悪いし恥ずかしいし、さらに言えば大嫌いなのです。私からは、遠く離れた存在。でも、事象としてはすぐそばにある。そんな距離感が心地いい。
「演劇・美術を見ること」は身近であっていい。けれど、「見るときの気持ち」はちょっと遠くにあって、客観視できて、特別であればと思います。
例えば私は、お芝居を見に行く前の日は、ちょっと長くお風呂に入ります。「身を清める」と似ているのかもしれません。それくらいの心意気が、私には必要です。
言うなれば、演劇と美術は恋人みたいな存在なのかな。(私に恋人がいたことはないけど!!!)
デートの前日は、がんばって洋服を選んだり、きれいに髪の毛を洗ったり、荷物を何度も確認したりしますよね?(しないのかなーしないのかなー)
気合としては、遠足に似ているかもしれません。夜、眠れなくなっちゃうような。
そもそも、演劇や美術が「身近な存在」になる必要があるのでしょうか。「特別なもの」「わくわくするもの」であったら、どうしていけないのだろう。
難しいけれど、「演劇や美術は特別なものだと思ってるでしょ?皆さん。でもね、本当はそうじゃないのよって、演劇とか美術みたいな特別なものをやってる私たちが教えてあげるよ」的な姿勢が、作る側にあるんじゃないかなあ、と思うことがあります。ちょっと高飛車、に見えることがある(もちろん、それは一部の人の考え方ではあるのですが)。
「特別なもの」であっていい。それを認めるだけで、ずいぶん人の流れ方って変わってくるんじゃないのだろうか。
とっかかりは、「特別なもの」でいいのです。その特別が無茶苦茶に楽しければ。
私は高校1年生の時、学校の行事で歌舞伎を見に行きました。当時の私は演劇部に所属していたくせに演劇にまったく興味がなく、「歌舞伎なんてがちがちでつまんないんだろうなあ」と思っていました。
けれど実際に行ってみれば、とても楽しかったのです。その楽しさを助けてくれたのは、イヤホンガイドでした。芝居についての解説を、生でしてくれるのです。聞いている人全員が、思わず笑っちゃうほど面白い瞬間もあって、見終わったあとはすっかり歌舞伎が好きになっていました。
こういう体験が、いろんなところで、いろんな人に起こればうれしい。そして、私はそれを起こすための勉強ができる環境にいるのですよね。
「特別=楽しくない」は絶対違う。「特別、でも楽しい」。そうすれば、その特別がつながり、楽しさがつながる。
ものすごくひとりよがりな意見だけれど、これが今の私の、演劇や美術に対する思いです。
大嫌いだけど、大好き。その狭間で、ぐらぐらと迷ったまま、もう3年くらいが経とうとしています。
そして明日も、デート。楽しみ。
ではまた明日。
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最近
高校の部活のことを、よく思い出します。
弱小演劇部の、練習中に流れていた空気。教室のおっきいカーテンにくるまって、科白を覚えたなあ、とか。
ここ数日、あの空気がぶわっとよみがえってくることが多いのです。しんみり。
何度も何度も言うけれど、私は演劇なんて大嫌いな演劇部員でした。早口言葉も言えないし、科白は全然覚えられないし。
なのにあの空気。教室の机を全部後ろにやって、ベランダで発声練習をやって、場面ごとに通すあの時間。あのすき間。
今でも演技するなんて、全然好きじゃないのです。人が私を見るなんて恥ずかしいし(下手だから目を引く)、大きい声も出せないし(どうして演劇経験者というのはあんなに大きな声が出るのでしょう)、日常会話も噛み噛みだし(なにより早口)、のどはすぐにつぶすし、体力は全然ないし、へこたれるし。
何がそんなに、私をあの空気の中に留まらせるのだろう。3年考えても分かりません。
でもそういう人は少ないようで、演劇部の先輩も後輩も同級生も、演劇の方面に進んだ人以外は、ほとんどが演劇に触れることなく過ごしているのです。
私は、劇むさに入るなんて全然考えていなかったし、映像IIの授業を取るなんて、めっそうもないと思っていました。
なつかしいともまた違う、あの教室を思い出すと、さみしいような気持ちになるのです。だから、避けたくなってしまう。絶対に楽しいと分かっているのだけど、己の力の無さを言い訳にして、そのさみしさを外から眺めているのですなあ。
しばらく距離を置きましょう、という感じなのだろうか。
何を書いているのだ、私は。でも妙にこのところそんなことを思うので、書いてみました。ネタ切れなわけではないのですよ。
明日は本多劇場へ。
ではまた明日。
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母デッサン
今、自分の部屋からダイニングテーブルに移動してブログを書いています。
向かいには、母が座ってパソコンと格闘しています。何か、うまくいかないことがあるらしい。ひとり、パソコンに怒ったりつっこんだりしながら、問題を解決しています。
こうやって見てみると、私と母はそっくりである。姿形が。それだけの話です。
しかし彼女は、もし芸術文化学科にいたら嫉妬してしまいそうなくらい、出来た人です。私とは全然違う。
ああ、夏休みみたいな日記になっています。
ではまた明日。
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もじゃもじゃ
先日旅行に行った時、芸術文化学科で勉強してきたことが、本当に自分の毎日とくっついているんだなあと実感した。
高速道路を下りると、マクドナルドやケンタッキー、ローソンにセブンイレブンがある。どんなに山道を走っても、自動販売機もあるしコンビニがあるところもある。去年はこんなに大きなコンビニなかったのに、というところまで。
どのお店も一様に大きな看板を掲げ、その向こうに山が見える。
こういう状態に、疑問符をつけていたのが、デザイン・マネージメントの授業。大きい看板を出さないと人は来ないのか?例えばフランスには、そういった看板はない。あのマクドナルドですら、規制を受けて景観を損ねないようになっている。(ちょっと京都と似ています)
その話を聞いたとき、たしかにたしかに、と頷きながらも、釈然と出来ない自分がいました。
何だろう、そういった景色に慣らされている私たちは、本当に心が貧しくなっているのかな?と思った、と言えばいいのだろうか。
その印象が、今回さらに深まった。もちろん、分かる。日本全国の駅前に並ぶ同じようなお店、大きな看板、一晩中輝くネオンサインが、不必要な物だということは分かる。
でもそれって、私自身(まったくの個人)にとっては、大きな何かなのです。東京で生まれ育ったからかもしれないけれど、もしそれがなくなったら不安になるような気がする。
そんな私も、近所の某大手古本屋さんの黄色い屋根には辟易しているのですが…
最近少し問題になっている、楳図かずおさんの家の話とも、つながってくるのかな。私は新聞でしかこの問題を知らないので、何とも言えないのですが。
ああ、もじゃもじゃ。
ではまた明日。
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見る夢
昨日、卒業した高校の広報誌がうちに届きました。
その中に、習ったことのない生物の先生のインタビューが載っていました。それがとても興味深かった。
その先生に習うクラスは、必ず、「目の見えない人は夢を見るのか」というテーマで学習するそう。目が見えるとは何なのか、夢とは何なのか、イメージとは何か、などを、生物学の観点から研究すると書いてあった。
そんな私が、今朝見た夢。
私は、某ミュージカル劇団(音楽学校がない方)に所属し、アンサンブルとして活躍している。
ところがある日、まったくレッスンしたことのない演目(現在上演中、私も先日見に行きました)に出演させられることになってしまう。それも本番直前の話。
実はその前日に、2/3くらいのアンサンブルが解雇されているのだが、私はその日レッスンを休んでしまったために、自分が解雇されたのかそうでないのかも分からない。
仕方なく舞台に上がることにする。もちろん振付などは一切分からない。
そうこうするうちに、最初の曲がかかってしまった。私は舞台に上がる。適当に周りの人を見て踊る。本当はそんなに激しい曲じゃないのに、ものすごく踊っている。
舞台が終わった後、落ち込む私を、「あきらめずにレッスンに出ていれば、必ず先生は認めてくれるから」と、某俳優さんが励ましてくれた。
目が覚めて、もう一度そのテーマについて考えてしまった。
高校の演劇部で一緒にやっていた人たちは、未だにこういった夢をよく見るらしい。さすがにミュージカルをやらされた人は聞いたことがないが、セリフが飛ぶ夢など日常茶飯事。
夢は不思議だ。不思議だから、よくメモを取っておく。
もし私が映像作品を作るとしたら、夢を再現するだろうな、と思う。実際、1年生の時の映像の授業で、そういう絵コンテを提出した。その時は、ものすごく強烈な夢を見て、起きてすぐにメモを取って(映像を撮ることはその時決まっていなかったが、絵コンテまで描いた)、しばらくぼんやりしていた。
よく分からないけど、自分の中で、夢は触感のあるものではないのだろうな。嘘みたいな本当。
今日見た夢は、映像にしてまで残しておこうとは思わないけれど。
私は自分の毎日をマンガにする(最近してない)けれど、その対極にあるのが映像なのかもしれないな。じゃあ演劇って何だろう、と考えてみたり。
本当に、演劇って何だったのかな。
さっき、「どうして演劇部の生徒は演劇を見ないのか。演劇部と演劇は別物なのか」という、演劇部顧問の先生の意見を読んで(その先生は、コンクールなどに出ない高校で顧問をやっているよう)、がくがくとうなずいてしまったから、そんなことを思います。
演劇部だった自分は不思議です。なんだったんだろう、あの時の元気とか、気持ちとか。何に向かっていたのだろう。何をしたかったんだろう。
私の高校もコンクールには一切興味のないところだったので、「演劇」なんてほとんど見ませんでした。私がちょこちょこと見始めたのも、部活動そのものは引退してしまった3年生から。どうして興味が出たのかも、あまり覚えていない。
そもそもどうして演劇部に入ろうとしたのかも覚えていない。演劇部に関するなにもかもが、うすぼんやりといたものに包まれている。そして今の気持ちも。
もしかして、私にとっての本当の夢は、演劇だったのかもしれないな。なんて。
ではまた明日。
老神温泉旅行2日目

旅行2日目は、赤城山を通って(写真は赤城山をバックに)、ハルナグラスというところに行きました。
ハルナグラスは、1903年創業のガラス工場です。以前も来たことがあったのですが、それはまだ高校生だったころ。今ほどには、炉が身近になかったときのはなしです。
ムサビのガラス工房は、ガラス張りになっているので外からよく見えます。冬でも半袖の人たちが、たくさんいます。
そんな状況に慣れてしまってからいく工場は、とても不思議。
ハルナグラスは最近まで高崎にあり、1987年に現在の場所に移転しました。まだ20年なんですね。
今回初めて歴史を知ったのですが、軍需工場として使われていたということにびっくりしました。そして、終戦の前日に空襲でなくなってしまったということにも。
お昼に、日本三大うどんの1つ(らしい)、水沢うどんを食べて帰ってきました。さて、残り2つはなんでしょう。
やっぱりうちがいちばんだ。でもまた行きたい。
ではまた。
老神温泉旅行1日目

8月1日から2日、群馬県にある老神温泉というところに行ってきました。
老神温泉は、東京から車で2時間くらいのところにあります。バスの便があまりないためか、あまり知られていない、静かないいところです。みちくさ家は、もう5回くらい来ているのかな。
1日は、老神から少し離れたたんばらラベンダーパークに、ラベンダーを見に行きました。
ここは、冬はスキーパーク、夏はラベンダーパークに名前を変えます。高原だからたくさん雪が降るし、ゴールデンウィークまでスキーが楽しめるのだとか。もちろんリフトもあるので、歩いて回るのはちょっと…、という人にもぴったりです。今回、みちくさ家とみちくさ母の両親とで行ったのですが、リフトの係員さんがとても親切でよかった。
ラベンダーは、ごらんのような感じでした。まだ咲いていないところもあったのですが、一面に広がるラベンダーはとってもきれい。いい香りもしました。空も青くて気持ちがよかった。
お決まりのラベンダーソフトを食べて(バニラと半分ずつのもあります)、旅館へ。
お風呂にのんびり入ってからごはんです。ごはんは、きっと女性向けなんだろうなあ、という作り。ちまこまといろんなものが食べられます。おいしかった〜
さて、ここからが芸術文化学科みちくさの話。
老神温泉は、交通の便がそんなによくない、ということもあって、決してにぎわっているとは言えません。
でも、朝市で新鮮な野菜が食べられたり、ごはんもおいしかったり、少なくとも私にとってはすごくいいところなのです。そんなところに、人が来ないのは少しさみしい。
老神の人たちも頑張っていて、夏の間は女将の会主催の盆踊り大会が開かれているのですが、特に夜店が出るわけでもないので、初日だった1日などは、ほとんど人が集まらない。踊っているのは女将だけ、という状態でした。
実は老神では、去年も盆踊り大会をやっています。去年も同じくらいの時期(お盆の少し前)に行ったのですが、人出は今年と同じくらい。つまり、去年あまり効果のなかったものを、そのまま(ポスターまで!)、というより、規模を小さくして(2時間→1時間)やっているのです。
私はここに、疑問符をつけたい。
老神温泉という素敵な場所を、たくさんの人に楽しんで欲しいという気持ちは分かる。けれど、それって盆踊り大会で伝わるのだろうか。旅館の窓から盆踊りを見ながら、いろいろ考えていました。
まず、何度も書いているように、老神温泉は交通の便が良くありません。最寄り駅である沼田から、1日に10本くらいしかバスが出ていません。電車の時間に合わせているけれど、これではあまりにも不便。
だったら、旅館が進んで送迎バスを出すだけで、ずいぶんお客さんの入りは変わってくるのではないでしょうか。遠いから、不便だからであきらめられてしまっては、もったいない。特に高齢の方は、自分で山道を運転することに不安もあるでしょう。バスがあったら便利なのにと思います。
それから、旅館の作り。これはなかなか変えにくいでしょうが、ごはんを食べる部屋に、いすもあればいいのに、といつも思います。みちくさ家がいつも泊まっている旅館は、お座敷です。私の祖父は杖を使っているのですが、とても不便そうにしていました。そういうところで、旅館が敬遠されてしまうのはもったいない。
また、バリアフリーの面からいうと、お風呂に手すりが付いていたらな、と今回すごく感じました。自分だけだと何とも思わないのですが、祖母と一緒にお風呂に入ると実感します。
段差はもちろんのこと。ほんの少しの段差でも「よく見えない」と言ってつまづいているのを見ると、確かに気づきにくいのだけど、気づかなくてはいけないのだと思いました。
バリアフリーは、誰もが使いやすいようにすること。ではその上で、老神温泉がターゲットにすべきはどの年代の、どんな人たちなのか。
老神のそばにある、渋川温泉・伊香保温泉は、家族連れをターゲットにしています。高速道路を下りてすぐのところにあるし、牧場もあるし。だったら老神は、それに対抗して、落ち着いた大人をターゲットにすべきでは?と思います。何しろ老神の周りには、何もない。でも、それが何よりのいいところ。それを分かってくれるような人たち、例えば高齢者、例えばただただぼんやりすることを求める(私のような)人たちに来てもらうのが、老神にとっていちばん幸せなのではないかと思うのです。
何も起こらないことが、何よりいい。それを、周りに流されずに、老神の人がアピールできればいいのにな、と。
でもそういう人たちに、アピールしていくのは難しい。インターネットを使わない人だってたくさんいるでしょうし、何もないことを強調するのは変な感じがする。
やっぱり、1回来てもらって、その人たちにリピーターになってもらうのがいちばんなのだろうけど、その1回が、むむむ…
と考えているところで、寝てしまいましたとさ。はっ…!
何もない、何もしない幸せって何だろう、と思いながら寝たのでした。1日目おしまい。
つづく