リアルな美大の日常を
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エミール・ゾラ『制作』を読む(その4)
●第2章 クロードの台詞
「そうだ、アングル親父がいる。奴ったら、例のむき玉子みたいな絵でおれをむかむかさせるが、それでもりっぱなじじいだ。気骨があるし、とにかくおれは脱帽するよ。……アングルの後では、ただ二人だけだ。分るだろう、ドラクロワとクールベだ。ほかの連中ときたら、どれもこれも詐欺師ばかりだ。」
この後ドラクロワのことを「老いたりといえ……」と表現していることから、この時点でドラクロワはまだ死んでいないという時代設定であることが読み取れます。
ドラクロワは1863年8月13日に亡くなっており、この小説の1〜2章は「7月」のできごとと明記してあるため、年は1863年かそれ以前でなければなりません。が、仮に1863年と置くと、後に出てくるサロン落選展はその翌年=1864年にあったことになり、実際には落選展は1863年であったので、現実と矛盾することになります。
結局のところ、ゾラは現実の歴史とは微妙に異なるパラレル世界を小説の中で展開しているというふうに考えるべきでしょう。
(追記:論理的におかしいことに後から気づいた……1862年と設定すれば矛盾しないじゃん!すみません)
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●第2章 サンドーズとクロードの会話
「どういうタイトルをつけるのだ、この絵に?」サンドーズがたずねた。
「プレネール(外光)」ただひとこと、クロードはこたえた。
サンドーズにはそのタイトルはあまりに絵画技法用語じみていると思えた。小説家の彼は、無意識のうちに、絵画にも文学性を導入したいという思いを抱いていたのである。
「プレネールだと? それじゃなんの説明にもならんよ」
このあたりは『印象・日の出』のエピソードを彷彿とさせます。
あるいは、現代美術にありがちな「タイトルのそっけなさ」を予見しているようにも思えます。
『無題』とか『No.○○』とかいうふうに、タイトルが作品内容の説明を本格的に放棄し始めるのは多分20世紀以降だと思うのですが、その下地はすでにこの時期にできていたのではないかと思います。
つまり画家が自分の絵に自分でタイトルをつける習慣が定着した時代という意味です。
作品のタイトルを自分でつける――
何を当たり前のことをと不思議に思うかもしれませんが、じゃあレオナルド・ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』というタイトルを自分でつけたか?というと、あの絵にはそういう意味でのタイトルは存在しなかったと考えざるをえないわけです。モナ・リザは『モナ・リザ』と呼ばれるからモナ・リザなのであって、作者による命名は無意味なのです。
長らく「呼ばれるもの」であった作品が、自律的に「名乗る」ということをし始めた時代が、美術における「近代」の始まりだったのではないでしょうか。
ゾラ自身も結局この小説に『L'OEUVRE』(英語でいうところの“Work”)という非常にそっけないタイトルをつけているところもなんだか意味深?
ところで「untitled」って受動態なんですよね。
能動態の名前って存在しないのか…。