レッシングのラオコオン

この間書いた話に関係する話。

 クレメント・グリーンバーグの論文『さらに新たなるラオコオンに向かって』は、18世紀に書かれた『ラオコオン』(レッシング著)という本にちなんで名づけられています。グリーンバーグはこのラオコオン論を下敷きとして20世紀の新しい絵画のあり方を提案し、抽象表現主義を擁護します。

 では元ネタである『ラオコオン』とはどういう本だったのか?というのに興味がわいたので読んでみました。

 実を言うと、レッシングはこれこれこういうことを主張したよ、というのを授業で聞いて、「あっそれ私も思ったー!」って感じで急に親しみがわいたんです。
 つまり、「言語による芸術と視覚による芸術の違い」とか「芸術の次元…線・平面・3次元空間・空間+時間」なんていう話を悶々と考えていた時期があって、(ちょうど1年くらい前かな)それをネタに作品を作ったことがあったので、過去にそういう考察をきちんとした形で発表した人がいたという事実は大変な衝撃と興奮を私に与えました。

 以下、『ラオコオン』のレビュー。

 タイトル: ラオコオン

 著者: G.E.レッシング

 翻訳者: 斎藤栄治

 出版社: 岩波書店

 出版年: 1970年 (原著発表:1766年) 


●ラオコオンとは何か

 タイトルのラオコオンとはどういう意味かというと、「ラオコオン(ラオコーン)群像」と呼ばれる彫刻がありますよね。蛇に巻きつかれて死にかけてる人の。
 あれが発掘されて、古代ギリシャ・ローマ時代の芸術を賛美する雰囲気が高まったりしてたわけです。
で、ヴィンケルマンという人がラオコオンについて文章を書いたのですが、それに対して物申す!というのがレッシング著『ラオコオン』の趣旨です。

 内容を無理やりまとめると、要するに「絵画・彫刻と文学は違う。」ということです。
(ここでは絵画と彫刻はひとまとめにされていて、その曖昧さを後に追及されています)

 レッシングは彫刻のラオコオンと文学(詩)の中のラオコオンを比較します。
 そして、彫刻のラオコオン群像において「叫び」が控えめな表現になっているのはなぜか?という疑問を軸に話を展開させていきます。

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●『ラオコオン』の要旨

 『ラオコオン』の話の核心は第15〜16章に現れます。

・絵画は、並存するもの(=物体)を扱う。それは空間内における形と色を用いて表現される。

・文学は、継起するもの(=行為)を扱う。それは時間の中における文節音を用いて表現される。

 これに尽きます。これが分かれば全体を理解したも同然。


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●アガメムノンの杖

 この理論の例としてレッシングがあげているのが、「アガメムノンの杖」です。
 え、アガメムノンを知らない?大丈夫、きっとブッシュ大統領も知らない。ブッシュパパの方は知ってると思う。
 (アガメムノンはホメロスの叙事詩に登場する人。トロイア戦争でギリシャ側の総大将をつとめた。)

 アガメムノンの杖を絵に描けと言われたら、画家はどうするでしょうか。
 まあ杖そのものを描きますよね。

 では文章で表せと言われたらどうするか。
 このとき、物体としての杖そのものを「こういう形で、こういう素材でできていて……」とくどくど説明するのはナンセンス。それだったら絵に描いたほうが分かりやすい。
 そうではなく、「この杖はウルカヌスによって作られ、ユピテルからメルクリウスの手にわたり……」というふうに歴史を語るのが詩人のやり方なのです。それは絶対に絵では表せないからです。

 当然、こういう反論がでてきます。
 「文章でも形や色を表現できるし、そうしたっていいじゃないか。」と。(第17章)
 うんうん、それは私も思う。
 しかし、レッシング的にはそれは駄目なんだそうです。
 物体を言葉で表そうと思っても、結局のところ「言い尽くす」ことはできないし、部分しか表せないから…というのが理由です。
 ああ〜!それはわかる!私も実験したことある!

 「絵画的に描いただけの詩は、スープだけの招宴にすぎない。」(ポープ)


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●ドイツ語の構造

 このあたりでレッシングは言語そのものの構造的な問題を持ち出しているのですが、それを読んで「そうかドイツ語って日本語と似てるんだな」と思いました。
 ドイツ語では名詞を修飾するときに、日本語と同様、修飾語をどんどん並べていって一番最後に名詞を置くのだそうです。だから結局「何」のことを説明しているのかというのが、なかなか分からない。
 ギリシャ語ではその点、修飾語が一つ来てその直後に名詞、その後ろからさらに修飾…というサンドイッチ方式になるので、それなら分かりやすいのになあという話。


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●絵の中の記号的表現

 神様が雲に乗っていたり雲に隠れたりしている絵は、文学的記号を借りているのだという話が第12章あたりに出てきます。中世の絵に出てくる漫画の吹き出しみたいなやつも同様だと。
 「絵の中の文字」っていうのは結構複雑な問題なんですよね。
 現代の漫画を芸術としてどう解釈するか、という話はもっと研究されるべきだと思います。


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●構想と仕上げ

 「美術家にとっては構想より仕上げが難しく、詩人は仕上げより構想が難しい。」(第11章より要約)

 これは現代になって大きく変わりましたよね。ときには仕上げより構想の方が難しい絵画のスタイルもある…。

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●18世紀のドイツ

 それにしても、18世紀のドイツに画家なんていたっけ?と真剣に悩んでしまいました。悪いけど。
 だって18世紀のドイツですよ?画家の名前一人でもあげられる?


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●汚いもの・醜いもの

 ギリシアの美術家は美しいもののほかは描かなかった、というのはその通りだと思います。
 しかし、レッシングが繰り返し「醜いものを描くべきではない」と主張するのが意外な感じでした。ドイツ人はわざと醜いものを描くのが好きなのかと思ってた。
 古代ギリシャにも「人体の不具・醜怪を描いて快としていた」画家や、「床屋の店とか、きたならしい仕事場、驢馬とか野菜類」を描写する画家も少数ながらいたようですが、そういった趣向は低俗である、という従来からの考え方にレッシングも疑問は唱えていません。
 えー!それってレアリスムじゃん!と思うのですが……彼らは時代を先取りしすぎたのか。

 当時は、肉体の美しくない者に対してひたすら厳しい風潮があったようです。

 「不具の肉体と美しい魂とは、油と酢のようなもので、たといまぜ合わせてみても、味からいうとやはり別々だからである。」(第23章)

 そうか…この人はマヨネーズを食べたことがなかったのか。

投稿者:nekoaji : 2007年06月08日 23:07

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コメント: レッシングのラオコオン

1766年っていったら、フリードリヒもルンゲも生まれてさえいないですよ…。
ロマン派が生まれる前は何やってたんだろう。

投稿者 ねこあじ : 2007年06月08日 23:39

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