2007年06月のアーカイブ

「作品」という名の作品

エミール・ゾラの小説で「制作(L'OEUVRE)」という題のものがあります。
例の、セザンヌとの絶交の原因になったという噂のあるやつです。(でもそれは事実ではないと私は信じてる!)

その小説をどうしても読んでみたくなったので日本語訳を探したのですが…

1999年に出た本が絶版ってどういうことよ。(怒)

しょうがないから古本で買ったけど。新しい本でも絶版とかあるんだなあ…。


以下さわりの部分だけ感想。

【主人公の設定】
プロヴァンス地方出身。
画家を志してパリに出るが、美術学校には所属せず。
気難しい完璧主義。女性が苦手。
才能はあるがなかなか世間に認められない。


………。

セザンヌのことかー!!!!


と叫びたくなってしまいますが、必ずしもセザンヌだけがモデルというわけではないようです。
マネを思わせる描写があったり、モネやルノワールっぽいところもあったり。

そしてめちゃくちゃ熱い。若い。
芸術家の卵たちの青春物語として普通に面白いです。

印象派やばい

印象派というと、どうしてもミーハーというか俗っぽいイメージがあって、敬遠していた時期がありました。

しかしやっぱり印象派は面白い!
ここしばらく月曜の西洋美術史が楽しみなのはそういうわけなのです。

印象派の絵って画集で見るよりスライドで見たほうが明るくて綺麗な気がします。
(当たり前といっちゃ当たり前)


ルノワールの絵って日本でやたら人気ありますよね。
明るくて楽しそうで、害のない感じが好まれるのでしょうか。
しかしその裏には血のにじむような苦労や制作上の悩みがあったのだろうと思うと……。絵はがきになったルノワールは真のルノワールのほんの断片にすぎない、と感じられてならないわけです。


うおおおお!ルノワール萌え!


……すみませんごめんなさい。こっちのブログでは萌えとか言うの禁止って決めてたのに。だけどどうにも止まらないこの情熱!


(↓以下印象派萌えトーク)

ルノワールとモネが1歳違いっていうのがまたツボです。
モネの方がちょっとだけお兄さんなんですよ!キャー!(なぜ興奮する)
あ、でも11月と翌年の2月だから学年的には同い年なのか。……それはそれでOKだ!

ちょっとほかの人のも並べて書いてみよう。

・ポール・セザンヌ  1839年1月19日生まれ
・エミール・ゾラ  1840年4月2日生まれ
・クロード・モネ  1840年11月14日生まれ
・ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841年2月25日生まれ

うわあああ。いいなあこの微妙な年齢差。ドンドン!
生年月日だけでご飯3杯はいけるよ!

聖女ルキア

聖ミカエルの図像表現について芸術学の先生に質問しに行ったら、「いい本があるよ」と資料を紹介してくれました。

フランス語の本でした。 まじで。


でも辞書引きながら読んだら意外と読めました。びっくり。以前初級フランス語で挫折したのが嘘のよう。
やっぱりラテン語を先にやってからフランス語をやるのが順番としてはいいみたいですよ!


そしてミカエルを調べるつもりだったのになぜかルキアたんを調べてコピってきました。


私の中の「好きな聖人ランキング」男性部門ではセバスティアヌスがトップ独走ですが、女性部門ではシラクサのルキアたんがアレクサンドリアのカテリーナを破って今、首位に躍り出ました!というわけで女性の聖人の中では一番のお気に入り、それが聖女ルキア様です。

ルキアとルチアとルーシーが同じ名前だって知ったときは結構ショックだったなあ…。

だって、だってですよ?
「ルチア」っていったら地中海性気候でイタリア〜ンでサンタ〜ルチ〜ア♪な潮風の匂いだし、「ルーシー」っていったら「ルーシーのおやつ!」とか言って腹ぺこオオカミさんをいじめたり、ポリーっていう名前のお姉さんがいそうな感じじゃないですか。あるいは衣装だんすの中にもぐりこみそうなイメージとか、家族でオーストラリアに移住してそうな感じと言ってもいい。


そんなこんなで「聖女ルキア」の項をわくわくしながら読んでいったら、なんか思った以上にグロい話でちょっと食欲なくした……。
殉教聖人ていうのは、つまり物凄い拷問を受けて死んだ人なんですね…。

まあ、でもルキア伝説にはいくつかの全く異なるバージョンがあって結構面白いので、また今度紹介します。

検索でありがちなこと

ネットで調べものをしてるときにありがちなこと。


● 綴りのミスを自動的に直される。

● 「もしかして〜〜」・「〜〜ではありませんか?」とお節介を焼かれる。

● 聖書の登場人物を検索したら「真・女神転生」のファンサイトがヒット。


アステカ(古代文明)について調べようと思ったらパチンコ攻略サイトとジョジョサイトがヒット。

 ↑逆に考えるんだ。それくらいアステカ文明はすごいと考えるんだ。


● 「愛子様」で検索するといまだに「愛子様 自閉症」が関連検索のトップ。

 いまだに。


祝・突破

お・わ・っ・たー!!!

いえ、大学の課題じゃないです。
個人的にやっていた作文教室(*)の最後の課題が終わったんです。
締め切りギリギリ滑り込みセーフだったけど。でもとにかく終わったー!
がんばった、私。


*作文教室
厳密には違うのですが説明しようとするとやたらめんどくさいので、人に言うときは「オンライン作文教室的な何か」と言うことにしています。まあだいたいそんな感じ。正確にはISIS編集学校という名前。
文章力を磨きたくて始めた……というのは建て前で、実のところは「師範!」とか「師範代!」とか言ってみたかったからです。なんかカッコいいじゃない?


あ、ムサビ日記書籍版を買いました。
友達に見せたら「あたしが映ってる〜!」と悶絶してました。

ムスカはハエだったのか

講評は月曜日だと思い込んでいたのに実際は金曜で、つまり昨日でした。
いろいろ悩んだ挙句、結局昨日一晩で作ったものを出しました。実質作業時間、8時間。
でもなんかそれでよかったみたいです。
苦し紛れのつもりだったけど、よく考えたらそれまで作りかけてた全てのものより最後に作ったやつのほうがよかったんです。


世間ではオープンキャンパスなんてものをやってるようですが、ぴちぴちの高校生がまぶしいので微妙に距離を取ってます。あ、でもムサビ日記書籍版は買いに行こ。


それでは恒例(?)「日本語に聞こえるラテン語シリーズ」です。 前回  前々回

● casa かさ  (意味:小屋)

● musca ムスカ  (意味:ハエ)

● panda パンダー (意味:曲がれ、曲げよ)

● taeter たえてる (意味:ぞっとするような、嫌な)

水戸黄門すごかったー!

夜の9時。テレビを消したとたん、電話がかかってきました。

母:「ねーねー、今『水戸黄門』見てたでしょ?」

だからなんでバレてるんだって。 前にもあったぞこんなこと。

母:「いやーたまたま私も見てたから」

私だって毎週必ず見てるわけじゃないよ!予約録画で済ますこともあるよ。
何?このシンクロ率。

今日の水戸黄門は(私の中でのみ)最終回でした。
だってだって鬼若が退場しちゃうんですよ。
鬼若のいない水戸黄門なんて、アンドレのいないベルばらみたいなものじゃないですか…!(あえてオスカルではなくアンドレをチョイス)

しかし今回は本当によくできてたと思います。
水戸黄門なめててスンマセン!と土下座したくなりました。悪代官のように。
(以下感想。すごくウザイです。)

今回でサヨナラになる鬼若はもちろん、助さん、格さん、ご老公、お娟それぞれの見せ場が光ってました。
殺陣もいつもの5割増しくらいかっこよかった…!
刀を使う戦闘はやっぱり助さんがかっこいいし、普段は徒手空拳の格さんが今回は長槍を使っててそれもまたかっこいい。敵の手から一瞬で槍を奪って自分の武器にしてしまうとこがイイよね〜。思わず一時停止で見返したましたもん。

そして特筆すべきは、毒矢を受けて倒れたお娟の色っぽさです。
由美かおるのこれほどのセクシーショットは見たことがありません。
汗を浮かべて苦悶するお娟を、こう、足元からすすーっと舐めるようなカメラワーク!
お約束の入浴シーンなんかメじゃないくらいエロかった…!
いつも忍び装束(※黒タイツ)に無理があるとか言ってて本当にごめんなさい由美ねえさん。あなたは永遠のセクシーくのいちです。でも黒タイツはやっぱりやめた方が…
ところで夜叉王丸がお娟を介抱したんですかそういうことなんですか。いつもおいしいとこばかりかっさらっていく夜叉王丸に嫉妬。

お娟さんについてめっちゃ語ってしまいましたが本命は鬼若です。
なんかもう今回はひたすら鬼若とアキちゃんが主人公で、二人のために世界はありました。
なんていうか……感動のあまり言葉にできないんですけど……(感涙)
L・O・V・E☆だよね!皆さんご存知でしたか?『水戸黄門』はラブコメだったんですよ。まあ…今日で片方いなくなっちゃったけど…。

でも大丈夫。鬼若は死んでなんかいません。崖から海に落ちたってことは生存フラグです。
いつかスペシャル版でカメオ出演させるための伏線に違いない。
お約束の、「まさかあの崖から落ちて生きていたなんてー!」ってやつですね。水戸黄門はお約束を大事にするいい番組です。

これをもって鬼若退場、つまり照英さん降板ということになりましたが、俳優としていろんな役に挑戦したいということなので、大いにがんばってほしいと思います。水戸黄門は撮影に時間がかかるから他の仕事できないんですね。
個人的に思うのですが、「七人の侍」を実写リメイクするとしたら照英を林田平八役に推薦したいです。
絶対ぴったりだよ…剣術より薪割りの方が得意そうな感じが…。

レッシングのラオコオン

この間書いた話に関係する話。

 クレメント・グリーンバーグの論文『さらに新たなるラオコオンに向かって』は、18世紀に書かれた『ラオコオン』(レッシング著)という本にちなんで名づけられています。グリーンバーグはこのラオコオン論を下敷きとして20世紀の新しい絵画のあり方を提案し、抽象表現主義を擁護します。

 では元ネタである『ラオコオン』とはどういう本だったのか?というのに興味がわいたので読んでみました。

 実を言うと、レッシングはこれこれこういうことを主張したよ、というのを授業で聞いて、「あっそれ私も思ったー!」って感じで急に親しみがわいたんです。
 つまり、「言語による芸術と視覚による芸術の違い」とか「芸術の次元…線・平面・3次元空間・空間+時間」なんていう話を悶々と考えていた時期があって、(ちょうど1年くらい前かな)それをネタに作品を作ったことがあったので、過去にそういう考察をきちんとした形で発表した人がいたという事実は大変な衝撃と興奮を私に与えました。

 以下、『ラオコオン』のレビュー。

 タイトル: ラオコオン

 著者: G.E.レッシング

 翻訳者: 斎藤栄治

 出版社: 岩波書店

 出版年: 1970年 (原著発表:1766年) 


●ラオコオンとは何か

 タイトルのラオコオンとはどういう意味かというと、「ラオコオン(ラオコーン)群像」と呼ばれる彫刻がありますよね。蛇に巻きつかれて死にかけてる人の。
 あれが発掘されて、古代ギリシャ・ローマ時代の芸術を賛美する雰囲気が高まったりしてたわけです。
で、ヴィンケルマンという人がラオコオンについて文章を書いたのですが、それに対して物申す!というのがレッシング著『ラオコオン』の趣旨です。

 内容を無理やりまとめると、要するに「絵画・彫刻と文学は違う。」ということです。
(ここでは絵画と彫刻はひとまとめにされていて、その曖昧さを後に追及されています)

 レッシングは彫刻のラオコオンと文学(詩)の中のラオコオンを比較します。
 そして、彫刻のラオコオン群像において「叫び」が控えめな表現になっているのはなぜか?という疑問を軸に話を展開させていきます。

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●『ラオコオン』の要旨

 『ラオコオン』の話の核心は第15〜16章に現れます。

・絵画は、並存するもの(=物体)を扱う。それは空間内における形と色を用いて表現される。

・文学は、継起するもの(=行為)を扱う。それは時間の中における文節音を用いて表現される。

 これに尽きます。これが分かれば全体を理解したも同然。


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●アガメムノンの杖

 この理論の例としてレッシングがあげているのが、「アガメムノンの杖」です。
 え、アガメムノンを知らない?大丈夫、きっとブッシュ大統領も知らない。ブッシュパパの方は知ってると思う。
 (アガメムノンはホメロスの叙事詩に登場する人。トロイア戦争でギリシャ側の総大将をつとめた。)

 アガメムノンの杖を絵に描けと言われたら、画家はどうするでしょうか。
 まあ杖そのものを描きますよね。

 では文章で表せと言われたらどうするか。
 このとき、物体としての杖そのものを「こういう形で、こういう素材でできていて……」とくどくど説明するのはナンセンス。それだったら絵に描いたほうが分かりやすい。
 そうではなく、「この杖はウルカヌスによって作られ、ユピテルからメルクリウスの手にわたり……」というふうに歴史を語るのが詩人のやり方なのです。それは絶対に絵では表せないからです。

 当然、こういう反論がでてきます。
 「文章でも形や色を表現できるし、そうしたっていいじゃないか。」と。(第17章)
 うんうん、それは私も思う。
 しかし、レッシング的にはそれは駄目なんだそうです。
 物体を言葉で表そうと思っても、結局のところ「言い尽くす」ことはできないし、部分しか表せないから…というのが理由です。
 ああ〜!それはわかる!私も実験したことある!

 「絵画的に描いただけの詩は、スープだけの招宴にすぎない。」(ポープ)


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●ドイツ語の構造

 このあたりでレッシングは言語そのものの構造的な問題を持ち出しているのですが、それを読んで「そうかドイツ語って日本語と似てるんだな」と思いました。
 ドイツ語では名詞を修飾するときに、日本語と同様、修飾語をどんどん並べていって一番最後に名詞を置くのだそうです。だから結局「何」のことを説明しているのかというのが、なかなか分からない。
 ギリシャ語ではその点、修飾語が一つ来てその直後に名詞、その後ろからさらに修飾…というサンドイッチ方式になるので、それなら分かりやすいのになあという話。


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●絵の中の記号的表現

 神様が雲に乗っていたり雲に隠れたりしている絵は、文学的記号を借りているのだという話が第12章あたりに出てきます。中世の絵に出てくる漫画の吹き出しみたいなやつも同様だと。
 「絵の中の文字」っていうのは結構複雑な問題なんですよね。
 現代の漫画を芸術としてどう解釈するか、という話はもっと研究されるべきだと思います。


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●構想と仕上げ

 「美術家にとっては構想より仕上げが難しく、詩人は仕上げより構想が難しい。」(第11章より要約)

 これは現代になって大きく変わりましたよね。ときには仕上げより構想の方が難しい絵画のスタイルもある…。

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●18世紀のドイツ

 それにしても、18世紀のドイツに画家なんていたっけ?と真剣に悩んでしまいました。悪いけど。
 だって18世紀のドイツですよ?画家の名前一人でもあげられる?


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●汚いもの・醜いもの

 ギリシアの美術家は美しいもののほかは描かなかった、というのはその通りだと思います。
 しかし、レッシングが繰り返し「醜いものを描くべきではない」と主張するのが意外な感じでした。ドイツ人はわざと醜いものを描くのが好きなのかと思ってた。
 古代ギリシャにも「人体の不具・醜怪を描いて快としていた」画家や、「床屋の店とか、きたならしい仕事場、驢馬とか野菜類」を描写する画家も少数ながらいたようですが、そういった趣向は低俗である、という従来からの考え方にレッシングも疑問は唱えていません。
 えー!それってレアリスムじゃん!と思うのですが……彼らは時代を先取りしすぎたのか。

 当時は、肉体の美しくない者に対してひたすら厳しい風潮があったようです。

 「不具の肉体と美しい魂とは、油と酢のようなもので、たといまぜ合わせてみても、味からいうとやはり別々だからである。」(第23章)

 そうか…この人はマヨネーズを食べたことがなかったのか。

きたよきたよこれ

今日「竹尾」で注文の紙を受け取ってきました。

自宅のプリンターでちょっと試し刷りして…と。
おお!これはいい!本物にかなり近い!

えーと、この間から何をしているかというと、新聞を作っているのです。
油絵学科では作品として新聞を刷っても許されます。いいところだ。

それで、媒体としてふさわしい紙を求めて試行錯誤してたわけです。
この新聞の作品は去年の進級制作から続けているシリーズなのですが、形態としてめざましい進化を遂げています。やればできるもんだなー。内容の進化はともかくとして。(おい)

今回は紙の厚みを克服! こう…クシャッとするとクシャッてなるような。新聞らしい薄っぺらい質感を達成できました。これ机の上とか置いといたら違和感なさすぎて誰も気づかないんじゃない? ばんざーい!

あとは…内容が、ねえ…。(ため息) ファイトー。


ところで、全然関係ないんですが。

オウィディウスオイディプスオルフェウスオデュッセウス
 …って、混ざりません?まざるよね。

※オウィディウス……『変身物語』を書いた人。
※オイディプス……自分の母親と結婚した人。
※オルフェウス……ふりかえるなって言われてたのにふりかえっちゃった人。
※オデュッセウス……戦争に十年、帰還に十年かかったウルトラ迷子。

こいつらバンド組めるよ。

道案内は、ハゲてる。

最近の私は最低だ。美大生として、いや人間として自堕落すぎる。
ちょっと今晩からがんばろう。ほんとにがんばろう。
ニコニコ動画で徹夜とか本当にやめよう。(最悪だ…)


<日本語に聞こえるラテン語シリーズ> →参照

 関東から来た。


 Canto, cara, cita.

訳:急いでやってくる頭よ、私は歌う(呪文を唱える)。

さてこれはどういう状況なのか。
caraは単数形だから、一個の生首が猛スピードでばびゅーんと飛んできて、その生首に呼びかけながら「私」は歌っている、あるいは魔法をかけるために呪文を唱えている…と。
「かんとーからきた」という、何の変哲もない発音がラテン語ではこんなシュールな意味を与えられるなんて。


あと単発もの。

・baca バーカ (意味:丸い果実、オリーブ) 

・hageter ハーゲーテール (意味:道しるべ、案内者)

・monacha モナカ (意味:修道女)

バカはあったけどアホは見つかりませんでした。

神秘の夢分析

ものすごく謎な夢を見ました。

夢の中で私はつぶやいていました。
「『助さんと竹さん』……あっ違った!『格さんと竹さん』?…あれ?どっち!?
 少なくとも『助さんと格さん』でないことだけは確かだ…。」


竹さんって誰。


せっかくなので夢分析をしてみます。↓


そういえばこの日の昼間、橋の近くにある「尾」という紙専門店に行ってきたのでした。そこから「竹さん」という架空のキャラクターが生まれたんですね。あと私は水戸黄門を毎週見ている。
分析終了。神秘のかけらもない。


「竹尾 見本帳本店」は、すご〜くたくさんの種類の紙があるという噂を聞いて今回初めて行ってみたのですが、独特の雰囲気のある不思議な店でした。
なんだかクラフト・エヴィング商會みたいなお店。いやクラフト・エヴィング商會はお店の名前じゃないけど。雰囲気がクラフト・エヴィングっぽいと思いました。ファン必見。
真っ白な部屋にズラーっと紙の見本が並んでるんです。ちょっとシュールですよね。
それで紙を買うときは、A4の紙なら常備してあるし、大きいのが欲しかったら取り寄せてもらえます。
とにかく何百種類という紙が勢ぞろいしてるので、買わない分まで眺めたり触ったりしてました。

さーてこれで今回使う紙が決まった!
あとは原稿をがんばらないと…。