リアルな美大の日常を
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2007年05月のアーカイブ
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ちくま
数日前から、まだかまだかと思って郵便受けを覗いてましたが、今日届いてました!
じゃーん!筑摩書房PR誌・「ちくま」6月号!
これに載っている岸本佐知子さんのエッセイを、毎月それはそれは楽しみにしているのです。
どれどれ今月の「ネにもつタイプ」は…。
おもなできごと
×月×日
渋谷の雑踏を歩いていて、前を歩いていた人と一瞬手をつないでしまう。
ちょ…!(爆笑)
一週間ぶりくらいに声出して笑っちゃったよ……!腹筋痛い。
シュールなんだけど、ありえなくもない光景ですよね。やばい。この笑いはじわじわ来る…
岸本さんが楽しそうでよかった。私もがんばろう。
ともだちの思い出
(その1)
高校時代。
お弁当のふたが頑として取れないことに苛立ち、
「はがれへん〜!はがれへん〜!…は…ハガレン!?」
と、一人で爆笑の渦に飲み込まれていった彼女のテンションの高さを私は忘れない。
今でもたまにお弁当箱を見ると思い出します。
(その2)
同じく高校時代。
クラス替えで仲良しの子と離れ離れになったらしいある人。
隣の席に座っていた私を急に振り返り、「うちら友達やんなっ!」と満面の笑顔。
(いつから?)と聞き返したかったもののあまり驚いてぽかんとしていた私。
まともにしゃべったことすらなかったのに…?
しかしクラスでビート板のごとく浮きまくってた人間に声をかけるなんて、よほど心細かったんだなあ…と今になって振り返ると微笑ましいものがあります。
ゼミ分けポートフォリオ
制作に全然手を付けられてません……orz
とにかく頭回して手を動かさなきゃ。
もうすぐポートフォリオ提出もあるしな…。
あ、ポートフォリオっていうのはですね、「お見合い」に使う個人資料ファイルみたいなものです。
お見合いの相手は先生だったり企業だったり。
「私はこういう人間です。こんな作品を作ってます」というのを伝えるのが目的です。
油絵学科は3年からコースが分かれ、Bコースでは先生方がそれぞれ決まった学生を受け持つゼミ形式になります。
というわけでBコースの学生は自分のポートフォリオを提出し、先生方はそれを見て「俺この学生もらうわ〜」みたいな感じで決めていくのです。学生側からも「あの先生がいい!」という強い要望があれば考慮してもらえます。相互お見合いですね。
そんで私はこのプチスランプから脱出できるのかしら。
(スランプっていうのはスランプじゃない状態があるからスランプって言うんだぜ…)
ピアニストには3種類しかいない
19世紀フランスの画家たちについて調べていて気がついたんですが、
普通に妻帯して子どもをもうけている人が多いんですね。
セザンヌ、ゾラ、モネ、ルノワール…みんな家庭を持ってるし、ちゃんと子どもがいる。
いや〜なんつーか。
芸術家なのにホモじゃないんだ…と思ってしまいました。
あの時代ってそういうの厳しかったんでしたっけ。そういえばホモ禁止令とかあった気がする。
そしてなぜ私はこんなにも「芸術家=ホモ」と思い込んでいるのだろうか。
ああそうだ、こういうジョークがあるじゃないですか。
「ピアニストには3種類しかいない。ユダヤ人、ホモ、下手クソ。」
『ピアニスト』の部分は『画家』『哲学者』『バレエダンサー』でもいけると思う。
セザンヌとゾラの友情
前回書いたセザンヌとゾラの話ですが、そのものずばり「セザンヌとゾラ」という本があることを知って、図書館で借りてむさぼり読みました。
●セザンヌとゾラ その芸術と友情
著:新関公子
発行:株式会社ブリュッケ
発売:株式会社星雲社
発行日:2000年2月22日
ゾラの小説「作品(制作)」が原因で絶交に至ったという仮説をくつがえす衝撃の一冊でした。
ほーらね、やっぱりね!セザンヌとゾラの友情は永遠なんだよ!(なぜか自慢げ)
膨大な資料や記録から、「ある一つの仮説」を論理的に証明していく過程は圧巻。
ミステリー小説みたいで、ドキドキワクワクしながら一気読みしました。
セザンヌとゾラは、一つの思想、一つの美学を確かに共有していたんだなあ…。
19世紀のフランスに思いを馳せるうち、私は猛烈に「風と木の詩」を読み返したくなりました。
たしか舎監の先生が戦争で負傷して足が不自由とかいうエピソードがあったような。
その戦争が普仏戦争だとすると、あの漫画の舞台は1880年代フランスと推測できるではありませんか。
おお、まさにセザンヌがゾラがルノワールがモネが生きていた時代ですよ。
それに黒田清輝もフランスに来ていた時代じゃないっすか。
色々つながってきた!
モダニズム的絵画論
なんか授業のノートを書いてるというよりは、速記の練習でもしてるみたいだぞ… orz
クレメント・グリーンバーグの話が難しい…。
一応まとめると、こんな感じかな。
モダンアートの発展をチャート図で表してみたよ (アルフレッド・バー1936)
↓
バーのチャート図おかしくね?(メイヤー・シャピロほか)
↓
いやいやバーのチャート図をもっと進化させるぜ
抽象美術には歴史的正当性があるんだぜ
モダニズムは自己限定だぜ (クレメント・グリーンバーグ 1940〜1960頃)
↓
グリーンバーグの理論では説明できない現象が60年代以降起こってるじゃん。
ジャスパー・ジョーンズとアンディ・ウォーホルをどう解釈する?
↓
それは奴らが間違った芸術をやってるんだぜ (グリーンバーグ)
↓
グリーンバーグさん間違ってんのはあんただよ (レオ・スタインバーグ 1972) ←今ここ!
金の羊の背に乗って
昨日の授業で、「ゾラはセザンヌの幼なじみでした」という話が出た瞬間、思わず
きたーーーーっ!!
と叫びそうになりました。
そして講義室にいた大勢の人がことごとく「ゾラ セザンヌ 幼なじみ」とかノートに書いてるのかと思ったらなんだか…なんともいえない気持ちになって一人で赤面してました。
ていうかなんで絶交しちゃったの…!あんなに仲良しだったのに。
ゾラが書いた小説にセザンヌがショックを受けてというのが定説ですが、私は信じない。
何かもっと深い事情があったんじゃないかな…。気になって夜も眠れません。
今日のラテン語は出席者3人でしたー(笑)
やっと金羊毛が出てきたよ。
(ちなみにこんな話)
地球と書いてテラと読め
夜6時半に実家のおかんから電話がかかってきて、開口一番がこれでした。
「今、『地球へ…』見てたでしょ?」
なぜバレてるんだ。
私は自分で自分のことをときどき機械的だと思うので、「まるで機械のような」と言われるキャラクターに感情移入しやすい傾向があります。だから今すごくキースが愛しい。竹宮恵子万歳。
ひと世代前の少女漫画家って、「母親と娘(息子)の確執」を必ず描きますよね。
竹宮恵子の『地球へ…』にもマザー・イライザとか出てくるし。
萩尾望都の『イグアナの娘』は、母親と娘のテーマを描いた最も完成度の高い作品だと思います。
でも「母親」に一番こだわってるのは山岸凉子先生ですよ。あの人は母親キャラにものすごく厳しい。
年齢を重ねても(今年60歳になられるんですね)、決して薄らぐことのないあの執念が凄い。
なんであんなに怖い話が描けるんだろう…。女の妄執を描かせたら世界一だよ。
私、山岸凉子先生のキャッチフレーズを考えました。
「漫画界の中島みゆき」
っていうの、どうでしょう?
古美術研究旅行メンバー募集
ぼちぼちコビケンの打ち合わせを始めています。
これから一般参加メンバーを募るのですが、
誰か建築学科の人来てくれませんか?油コビケンに。
油絵学科主催コビケンは、油絵学科以外の人も参加大歓迎ですよ!
特に建築の人がいるとお寺の建築様式とか勉強できるし嬉しいんですよね…。
講評
今日は、3年最初の課題(Bコース)の講評でした。
9時40分くらいに始まって、ぶっつづけで午後1時までやって、「会議あるから一旦ここで」と先生が立ち去って、2時半頃再開して、結局終わったのは5時近くでした。一日がかりかよ!
まあそのうち1時間くらいは抜け出してトイレで泣いてたんですけどね(笑)
別にいじめられたわけじゃないのになぜか涙が止まらなくて…。マスカラ全部落ちたっちゅーの。
作品が手元から離れた瞬間ほっとして気が抜けちゃったのかな。
でも先生からしたら「え!?俺が泣かせた?」って感じだったと思うので申し訳ないです。違うんですよ〜! たぶん一生懸命考えてると思考が水になって目からあふれてくるんじゃないの。(無駄にポエミー)
今回の作品については、「客観性」の問題を指摘されました。
他の学生も含め全体的に、作り手は楽しいのだろうけど鑑賞者からするとそんなに面白くないという作品が多いよ、と。
しかし、そう言われてもねえ…。 現代美術ってそんなんばっかりじゃないっすか(ボソ)
自分の作品を客観的に見るのは至難の業です。
友達に見てもらったとしても、客観的な意見って意外と返ってこないんですよ。
仲のいい友達ほど、つまり気心が知れてるわけだから、作り手である私の気持ちに同調して見てくれるんです。そうすると私と同じ意見しか返ってこないという現象が起こります。
そもそも美大に来てる時点で世間一般から大きく偏ってるんですよね。普通の人と知り合いになりたいなあ。
今回、ものすごく考えさせられるようなパフォーマンスを提示した(しようとした)人もいて、全員が大きな衝撃を受けました。デリケートな問題なのでここでは書きませんが、「そういうのもありなのか…いやさすがに…いやどうなんだろう?」と、ずっとぐるぐる考えてました。
「美とは何か」・「美術の役割は何か」という問題については前から考え続けているのですが、ちょっと分かりかけてきたような気がします。
美とは「よいこと」。そして美術の本分は「よくすること」ではないかと思うのです。
言い換えるなら、美=高い次元の何か、 美術=何かを高みに引き上げること …でしょうか。
うん、その話は2000年以上前に既に語られていたような気がするけどね。
トマトってカレーに入れるものですか
昨夜は友達の家でカレーパーティーでした。
カレーにはトマトを入れるのが標準的なやり方だと主張する子がいて、実際トマト入りカレーはおいしかったです。でも「いわゆる普通のカレー」ではトマト入れないと思う。
今取り組んでる制作のこととか、将来の計画とか、現代美術って結局何なんだとか色々話しました。
結構みんな同じような悩みを持ってるんだなあと思います。
「古代から現代まで、ものすごいボリュームの歴史を学ばなければならないから苦しい。
後の世代ほど苦労するのは不公平だ。」
「〈美術=目で見て美しいもの〉という考え方からなかなか抜け出せない。
コンセプチュアルアートに違和感を感じる。」
「かつて美術というジャンルは哲学や文学と密着していたのに、今の時代はそれぞれのジャンルが独立してしまっていて、私たちは孤独だ。」
…とか、そういう話をしました。
その後自分ちに帰って制作の追い込みをかけて、ちょっとだけ仮眠しようと思ったら結局6時間がっつり寝てしまいました。予想通りです。
昨日油絵の子と話してても思ったのですが、ファイン系は徹夜に弱い。ような気がする。
それとも慣れの問題?
昨日と今日の作業の集中ぶりは我ながらすごかった!なぜそれをもっと早めにできないんだ。
これを明日の朝キンコーズに持ってけば、この課題終わったも同然!よっしゃあああ
あれ?そういえば今日って月曜日…
しまったぁああああ!
水戸黄門見るの忘れた!
ショーック…。鬼若とアキ様を見るのが一週間の癒しタイムなのに。
いつも真剣に見ているとは言いがたいが見逃すと悔しいのが水戸黄門。
余の辞書に不可能という言葉はない
うわあん!制作のための調べ物をしてたのにいつのまにか…いつのまにか…
「マリー・アントワネットは本当に『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』と言ったのか?」
という話を読みふけっている自分に気づいた。なぜだ。
Wikipediaは魔の巣窟だな…!
結局、アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったなどという根拠は全くないそうです。ルソーが書いた話に尾ひれがついたらしい。
しかも正確には「彼らにブリオッシュを食べさせなさい」という言葉だったらしい。
そんでもってブリオッシュというのは必ずしも菓子パンをさすわけではないのだそうです。
保存食のような堅いパンをブリオッシュと呼んだこともあったそうな。
ついでにナポレオンのあの名台詞も調べてみました。
「余の辞書に不可能の文字はない」
さて、本当のところは…?
ナポレオンが実際に言った(正確には手紙で書いた)のは、こんな言葉でした。
「アンポッシブル・ネ・パ・フランセ」(by ナポレオン)
えええええ〜!? そんな単純な…まるで初級フランス語の教科書に載ってそうな…。
「『不可能』はフランス語ではない」といった意味でしょうか。
思いがけないトリビアに満足満足…。ふう… 今夜は徹夜だな♪
オデュッセイア
今日読み終わった本。
「『オデュッセイア』を楽しく読む」
ルチャーノ・デ・クレシェンツォ著/草皆伸子訳
実は恥ずかしながらオデュッセイアは全然読んだことがなかったのです。
この本は要約に解説を加えた一種のダイジェスト版だったのですが、読んでみたらすごい面白くて、なんていうか普通に面白かった!
清楚なイメージの王女ナウシカアは、実は片付けの苦手な女の子だったというのを知って親近感が沸きました。
「汚れた服を部屋にためこんだりしてはいけません。洗濯に行ってらっしゃい」とか言われてるんですよ。
ナウシカア…!その気持ち分かるわ。洗濯とかめんどいよね。
というわけで私も今日は洗濯をしました。
(オデュッセイアを読んで、その感想が「そうだ。洗濯しよう」っていうのはどうなんだろう…)
天使を見せてくれ
すごい!一回の授業でノートが丸々4ページ埋まったよ!
今日の講義はクレメント・グリーンバーグのモダニズム論についてでした。
美術評論家にはユダヤ人が多いような気がします。アーウィン・パノフスキーもユダヤ系だし。
あと私はクールベが嫌いみたいです。なんかあの人…むかつく…。
芸術家としての実力はすごいと思うけど、友達にはなりたくないな!
きっと嫌味っぽいフランス語話すんだよクールベは。
わざとお下劣な単語を言ってお上品な人の眉をしかめさせたり。
道で人に会っても絶対自分から帽子を取らないタイプ。
褒め言葉を素直に受け取らないし。そのくせ褒めないと怒るし。
「天使を見せてくれ。そうしたら天使を描いてやろう」ですって? なんて傲慢な男!
全然共感できないし、理解できない。
でも、だからこそ妙に気になったり…。
あっ!か、勘違いしないでよね!
クールベなんて、だ、大っ嫌いなんだからっ!(無駄にツンデレ風)
そうだ コビケン行こう
今年もあの季節がやって来る…
コビケンの夏が!
さてさて「コビケン(古美術研究旅行)」というのは、ムサビの学生が夏休みの暑いさなかに集まって、奈良・京都に行って、丸一週間ひたすらお寺や仏像や茶室や石庭や障壁画を見る…という大変渋〜い合宿旅行です。
共通絵画研究室主催のコビケンと、油絵学科研究室主催のコビケンと二つあります。
どっちも学年・学科問わずの自由参加です。
まあなんだかんだで油絵コビケンはアブラギッシュ(油絵の人ばっかり)になりがちですが。
私は去年油絵のコビケンに参加して、すごい楽しかったので、今年はスタッフをやります。
説明会を6月の頭くらいにやる予定なので興味のある人、ぜひ来てください!
以上コビケンの宣伝でした〜
そういえば最近知ったことなんですが、
「日出処の天子」を略して「処天(ところてん)」って言うんですね。
そういう略し方があったかー!と目からウロコでした。
うわあ懐かしいなあ…厩戸王子とか…。
満員講義室
ゴールデンウイーク明けでちょっとは人が減るかと思ったのに…
1号館の大講義室で座る席が見つからないくらいの混雑ぶりってどうなのソレ。
うろうろ探し回ってようやく席を確保したものの、前後左右見渡す限り人がぎっしりなんですよ。
おかしい…。なんでこんなに人が多いんだ。今年の一年は真面目っ子が多いのか。
今日の西洋美術史概説はクールベとレアリスム(後編)でした。
クールベの晩年の作品なんて初めて見ましたよ!
へ〜こんな細やかな描写もできる人だったんだ…と意外な感じです。(大味なイメージがあったので)
美術史でクールベの名前が出るときって、たいてい「オルナンの埋葬」(1851)関連か、1855年パリ万博出品拒否&レアリスム宣言のエピソードなんですよね。1850年代半ば以降のクールベについては全然知らなかったので新鮮でした。
それと今日は久々に実技の時間に先生と遭遇。どんな作品を作ってて、どういうことを考えながらやってるのかということを話しました。
私は油絵Bコースなのですが、まだ担当の先生は固定されてません。
前期の間は、何人かの先生が全体をまんべんなく(というか適当に)見て回って、一人ひとりと話し合ったり指導したりという感じです。
今のとこ月・木・(金)が先生の来校日なので、その曜日はできるだけアトリエにいるのが望ましい…のですが、いない人もたくさんいます。まあ必ずしもアトリエで制作しなきゃいけないわけではないし、アドバイスをもらうかどうかも本人しだいだからいいんですけどね。
胸がないならパッドを入れればいいじゃない
タイトルはマリー・アントワネット風に読んでください。
女の人ってパッド入りブラとかボリュームアップふわふわブラとかつけますよね。私はつけるよ。
ないよりはあった方がいいですものね。ファッションのシルエット的に。
昔の男の人もそういう気持ちで股間をふくらませていたのかなあと思います。
…いや、そういう意味じゃなくて。
股間をもっこりさせるのがファッションとしてヨーロッパ中で流行っていた時代に、という意味です。
…本当ですってば!本当に「股間もっこり=おしゃれ」とみなされていた時代があったんですよ!
うそだというならブリューゲルの絵をごらんなさい。
「野外の農民の婚礼の踊り」(1566)とか「怠け者の天国」(1567)を見れば、当時の男性がどのように股間を飾っていたか分かります。
あの股間もっこり飾り(コッドピースとか陽物袋とか呼ぶそうです)、ものすごく馬鹿っぽい感じがして私は結構お気に入りです。誰かコスプレしてくれないかなあ。どう見ても変態だけど。
美術の歴史って…いや美術に限らず歴史全般って、後の時代になればなるほど勉強することが増えるから不公平なんじゃないかと思います。くそう、いくら勉強しても追いつかないよ。
情報を簡単にやり取りできるようになって便利は便利なんだけど、その分「知っていなければならないこと」もどんどん増えて、ああああ股間もっこりさせながらのんきにダンスなんかしてる村の男Aは気楽そうでいいなあ!
ザ・見栄っ張り
実は私、ものすごい見栄っ張りなんです。
と友人に告白したら「知ってるよ」と言われました。え、まじで。
そんな自分の見栄っ張りを解き明かす『後ろの人』理論というのを考えました。
<後ろの人理論とは>
本や漫画を読んでるとき、背後に視線を感じるというか…。
それを私は「後ろの人」と呼んでいるんです。
「後ろの人」は常に後ろにいて、私が何かするたびに監視しているんです。
私が「この映画おもしろーい」とか思ってても、「バカが見る映画ね…」とか「下品すぎる…」とか冷たいコメントをくれたりするわけです。(※幻聴ではない)
そんなとき私はシュンとして、なんとなく後ろめたい気持ちで鑑賞するのです。
そういうわけでどんな作品を楽しむときも、ときどき背後をさっと振り返っては「ど、どうでしょう後ろの人!」とかお伺いを立てる習慣ができてしまいました。
あるとき、「そういえば後ろの人って一体誰よ?」という疑問が浮かび、考えた結果…
まあ、親とか親とか親の価値観の集合体(+世間体)みたいなものではないかと。
自分の親とか、世間一般がどんなものを好み、どんなものを嫌うか。
そういった情報の寄せ集めが一つの模擬人格のようになったものが「後ろの人」なんですよ。
これで私の見栄っ張りゆえの奇妙な行動がすべて説明できる!
すごい画期的な発明だと思いませんか?「後ろの人理論」!
と自慢げに友人に語ったら、「アホか」と一蹴されました。え、そうかな。
ロシアより愛をこめて
ちょっと大学とは別の課題で、映画「007 ロシアより愛をこめて」についてエッセイを書かなければならないので、昨夜眠気をこらえつつ鑑賞しました。ゴールデンウイーク?私の辞書にそんな言葉はない。
正直眠くてぼーっとしながら見てたのですが、オープニングで「007のテーマ」が流れ出すと、やっぱり何か湧き上がるものがあります。
べべべべん べべべ♪ べべべべん べべベ♪
べべべべん べべべ♪ べべべべん べべベ♪ ちゃら〜ららら〜♪
(…というふうに聞こえる)
ショーン・コネリーが若い!
悪の組織のボスがペルシャ猫抱いてる!
出てくる姉ちゃんがみんな巨乳だ!
スパイの秘密道具キター!
と、このようにツッコミを入れながら見るのが「007」シリーズの正しい鑑賞方法です。
「007」は突っ込みたくなる場面が盛りだくさんなのに、映画の中では誰も突っ込まないので、鑑賞者の突っ込み力が試されます。
デザインの語源
ラテン語の辞書とにらめっこしてたら色々発見がありました。
★日本語(として使われる外来語)になったラテン語シリーズ★
・ボーナス ←bonus 良い
・アリバイ ←alibi 他のところで
・デザイン(デッサン) ←designo 示す、規定する、模写する
あ〜そうそう。
デザイン/デッサンの語源の話は予備校でも聞かされたし大学入ってからもなんかの授業で聞かされました。designはde+signで、signは記号っていう意味だから…とかいう。
それにしてもdesignと書いてディザインと読むなんて英語の発音は全くふざけてる。
ところで先日友人と話していたら突然、「○○っていう人、知ってる?」と話題をふられ、
「え?…し、し、知ってる…よ…///」と超どもってしまいました。
知ってるどころか、むしろ惚れてるよ。
好きな人の名前をいきなり話題に出されると心臓に悪いですね。
自分から「あの人好き〜」とぺらぺら喋るのは平気ですが、人から追及されるとなぜか恥ずかしい。
…いや、現実の恋愛の話ではありません。
私の好きな人ってたいてい既に亡くなってるから…。(いわゆる歴史上人物)
いまだに入試の夢を見てうなされることがある
半年に一回くらいの周期で「入試の夢」を見るような気がします。
「ムサビに入ったつもりが実は入れてなかった。もう一度受験しなきゃいけない!」という悪夢。
あれは怖いよ…。
でも最近は「講評の夢」の方が怖いです。
要するに心配性なんです。
いろいろ作業してたら午前3時を回っていて、「今から寝たら絶対昼まで寝てしまう!」という自信があったので、もういっそ寝ないことに決めて、ラテン語の宿題をやってました。
そして今に至る。おはようございます。
ラテン語の講読では今、アルゴー隊の話をやってます。
王子様が金羊毛を手に入れるために船に乗って冒険の旅をするという有名なお話ですね。
旅の途中で美少年が妖精にさらわれて行方不明になったり、畑に種まきをしたら武装した兵隊がはえてきたり、なんかいろいろあってバラバラ殺人事件が起こったり、家族間でやたらドロドロしてたり、最後にはうたた寝してた主人公の上にバーンと船が横倒しになってきて主人公がつぶれておわり。
すごい話だ。