カテゴリー:美術教育は必要か?

美術教育は必要か?5

前回までの話。
美術教育は必要か?1
美術教育は必要か?2
美術教育は必要か?3
美術教育は必要か?4

今回はファインアート教育について。
ちなみにファインアートとは「純粋芸術」「純美術」とも言われ、主に油絵や日本画、彫刻、工芸(クラフト)などを指します。


ファインアートこそ、「世の中にいらないものの代表」と思われてる可能性が高い(笑)
いやー、説明するのがかなり難しい。
難しいのがわかってて書くのはつらい(涙)




いろんな人に美術が嫌いになった理由を聞くと、「美術教員が嫌いだった」も多いけど、「答えがない」ことに抵抗あって嫌いになった人も多いようです。
「赤でも青でもいいって・・・どっちかはっきりさせてくれー」という感じで。

「1+1は2以外にはありえない」ってものが基本的にはない。
「1+1は3・・って考え方もアリはアリだよねー」ですからね(笑)
私達はこの「答えの無さ感」が大好きなんだけど、耐えられない人には耐えられない。
どうすればいいのかはっきり言え」と。

答えが存在するものも、もちろんあります。
「絵の具の赤と黄色を混ぜると緑になる」
「青色は冷たい感じをあたえる」
「遠近法には1点透視や2点透視等がある」
「印象派の代表としてルノワールがいる」
「美術館では静かに鑑賞しましょう」
とかね。
ただ、これはあくまでも「覚えてると、もっといいことが起きるよ」であって、これを覚えたからといって「美術」を学んだことにはならない。

「ファインアートの楽しさ」とは「答えがない楽しさ」であり、「答えがないからこそ、いろんな人と感動を共有できるんだよ」ということに気がつかせること
そして自分を表現することの喜びを実感すること
「君は君だよ」と。
それがファインアート教育であり、「芸術教育」じゃないかと。
うーん、ちょっと詰めが甘い論理だけど、ま、つまりはそういうことじゃないかな。

例えば、このブログで何度も紹介してる、石田徹也さんの作品。
あの1枚の絵に入ってる情報を文字で伝えようとすると、それはすんごく大変な作業です。
でも、人間って1枚の絵を見て感動して涙を流せるんです。
不思議だと思いません?
でも全然感動しない人もいる。「うわっ、キモい絵」と思う人もきっといます。
それはそれでいいんだよね。
正解なんてないんだから。
実は美術教育がどうこうよりも結局の問題点ってそこだと思うんだけどね。

で、「美術教育は必要か?2」でフジイさんからいただいたコメントにお答えいたします。
あ、フジイさんのブログは以前から読んでましたよ(笑)


私の答えは3の「受け入れる」です。
答えなんて一つじゃないんだもん。
文章の中に「『批評家』の存在は否定しません」とも書いてますし。


恐らく問題点を考える時の「スパン」の解釈の違いが一番大きいのかもしれませんね。

例えば「どうしたら戦争を無くすことができるのか」を考えた時。
戦争が起きる原因は人種・土地・文化・宗教・政治などなどいろいろなことが関係する。
問題点を把握し、どうすれば戦争を無くすことができるかを論理的に考え、訴える人が絶対に必要です。
でも、戦争で今日明日食べるご飯が無くて困ってる人がいたら食べるものを手配する人も必要。
長いスパンで考えれば、この行為は問題点の先送りであり全く意味がないこと。
短いスパンで考えれば、10年後がどうなってるいるかよりも今の問題点をクリアしろ、と。

もっと近い例だと。
大学の情報環境委員会という会議で「大学の情報化の問題点」を考えたことがあります。
「パソコンが使えない先生に講習会を開くべきだ」という意見も出ました。
事務からすると、ほとんどの先生はパソコンが使えるんで会議通知なんかはイントラやメールで連絡が取れるんだけど、ほんの数人の先生のために紙の「お手紙」も書かなくちゃいけないんですね。
一般大学なら「業務なんだからパソコンを覚えるべきだ。つーかそんなことで悩んでる時代じゃないだろ」という理論が通じます。でも美大の場合は「普段は画家でパソコンを必要としない」という人も多数いるわけで。学生さんも含め、携帯電話を持っていない人も多いですし。
「不便だけどそれを一方的に否定しちゃいけないのが美大だよなー」という考えもあって、「使えないなら使い方教えますよ」というアプローチの解決方法。

でも、「それは使えない人が悪い。そんなことよりも『大学として情報化をどう考えるか』のポリシーをこの場で決めるべきだ」という意見もありました。
これもどちらが正しいってわけではなく、両方のアプローチが必要なわけで両方を切り離して考える・・という結論になりました。ん?あれからどうなったんだっけ(ぼそっ)

私は、どちらかというと「10年後よりも今を乗り切らなくちゃ」な仕事が多かったので(笑)、「正論や批判よりもこの場をリアルにどうすればいいか考えようよ」という発想が強いです。皆さん経験があると思いますが、現場では正論が役に立たないことが多いしね。「ま、そりゃ君の言ってることの方が正しいんだけど、今、目の前に困ってる人がいるのにここでいうことじゃないよね?」ってことが。

なので、「批判はバカでもできる」と強い言い方してますが、「その場主義」よりも長い目で物事を見れる人も必要で、どっちが大事ってことはなく、両方が両方の立場を理解し、いいものを語り築き行動することで、もっと世の中がハッピーな方向に進めば、それでいいんです。

美術教育は必要か?4

前回までの話。
美術教育は必要か?1
美術教育は必要か?2
美術教育は必要か?3


デザイン教育の必要性とは?


ここで、私の「教育実習の思い出」が関係してきます。
「教育実習の思い出13」の「デザインとは何か?」な話。

答えは辞書に書いてあるんですよ。

DESIGN」という英単語を辞書で調べてみてください。
なんと説明が書かれてますか?

そう。だいたいの辞書は「企画・計画・設計」と最初に約されています。
そして、2番目に「図案・意匠」と書かれてるのね。

実は「Design」とは広義的には「企画・計画」のことであり、狭義的解釈としてみんなが普段使っている「絵を描くこと」なんです。


具体例を書きます。



最初に「6月14日オープンキャンパスをやります」とポスターを作りました、と。
だから「6月14日にオープンキャンパスをやろう!」とは・・・なりませんよね?
逆です。
「6月14日にオープンキャンパスをやろう!」とまず決めます。
そして、「オープンキャンパスを成功させるためには何が必要か?」を次に考える。
これ、「企画・計画」です。
「とりあえずの成功とはお客さんがいっぱい来ること」であり、次に「じゃ、お客さんがいっぱい来るには何が必要か?」を考える。
それは広報・宣伝活動しかありません。
「じゃ、一番手軽で安上がりで効果的な方法は何か?」と考えていくと・・・・。
「あ。ポスターがいいよね」となって、「6月14日にオープンキャンパスをやります」というポスターを作っているだけなんです。

ほとんどの人が「6月14日オープンキャンパス!」というポスターしか見てないから、「あ、デザインとはポスターを作ること、絵を描くことなんだ」としか感じない。でも、実は「ポスター」って何かの企画・計画を実現させるための単なる目に見える「アウトプット」に過ぎないのです。

もっと書くと「どこにポスターを貼ればいいのか」も考えなくちゃいけないし、「いつ貼れば効果的か」も考えなくちゃいけない。作って終わりじゃないんだよね。
ポスターは大きい方が目立つけど、学校とかじゃ大きいと貼ってくれない(笑)
大きいと郵送料も高くなる。
「どのサイズでどれくらいの数を送ればいいのか」を考えなくちゃいけない。
そしてもちろん、「なぜオープンキャンパスをやるのか?」も考えなくちゃいけない。
全て企画・計画ですよ。


「何が必要か」を考え、それを「具現化」させる。
これが「デザイン」です。
ユニバーサルデザインなんてすごくいい例。
「シャンプーのペットボトルのデコボコを考える」のではなく、「誰もが平等に使える製品のためにデコボコをつける」でしょ?

みんながもっとハッピーになれるように考え、実現させる力を養う」のが本来のデザイン教育なんだよね。
こんなに世の中に必要なものはないわけで、だから中学や高校でデザイン教育が必要なんです。


国語に置き換えるとわかりやすい。
「色彩構成」ってつまりは「文字の書き取り」みたいなもの。
書き取りとはあくまでも「文章を書く読む理解する」ための初歩訓練であって、それが「国語」の目的ではないでしょ?

でも、今の初等デザイン教育は文字の書き取りのようなことしかやっていない。
これは「本来のデザイン教育とは何か?」を知らない美術教師が多いことと、美術の時間数が絶対的に短いことが関係しています。
だから、ほとんどの人が「デザイン教育とは色彩構成練習」と思っている。

もちろんデザインを極めるには色彩構成が必要だけど、そんなことだけやってたら、そりゃ「絵を描かない人には関係ないもの」と言われますよ。
なので、まずは教える側の「デザイン」に対する理解の向上が必要じゃないかと私は思っています。
美術時間数が少ないのはもうどうしようもないので、せめて「今やってるのは初歩訓練なんだよ」という意識だけでも持ってくれていたら。


続く。

美術教育は必要か?3

前回までの話はこちら
美術教育は必要か?1
美術教育は必要か?2

質問を変えた方がやりやすいかも。

なぜ中学や高校で美術教育があるのか?

これははっきりといえます。
美術やデザインは人を幸せにするために必要なものだからです。

あ、「美術教育」と一言でいっても、美術・・いわゆるファインアート教育とデザイン教育では考え方が違うので、今回はデザイン教育について。


デザインは生活と密接に関係してるんで、必要性は比較的説明しやすい。

「デザインの仕事」ってどういう仕事なのか知らない人がほとんどです。
「鉛筆にキティちゃんの絵柄をつける仕事」ぐらいにしか思われていません。これほんと。
だから「デザインなんて付加価値だから、なくても暮らしていける→必要じゃない」と言われるわけです。

ちょっとそこのスネオのママみたいな奥さん!
そうそう。PTA会長で「うちのスネ様は美術なんて勉強しなくていいから、入試に必要な科目を勉強させるでザーマス」と文句を言ってるあなた。

あなたが学校まで乗りつけた高級外車のアウディ。かっこいいですねー。
ところで、アウディのシニアデザイナーに日本人がいて、ムサビOBだとご存知ですか?
あ、この記事を見てください。
ちなみに上記文章に出てくるBMWの永島さんも、日産の中村史郎氏もムサビOBです。
デザイナーという人が車をデザインしてるんです。
デザインがいらないっていうのなら、車を乗るのをやめてください。

あなたのオシャレな高そうなブランド服。これもデザイナーがデザインしたものです。
デザインってものが世の中にいらないっていうのなら、この場で脱ぎ捨てて帰って、その辺に落ちてる葉っぱでもつけて生活すればいいでしょ。
あなたのかぶってる帽子、そしてそのつりあがった眼鏡。
それもデザイナーがデザインしてるんです。

世の中にはデザイナーがからんでいない製品はほとんどありません。
確かにデザインされたものは付加価値かもしれない。
生きるために絶対に必要じゃないかもしれないけど、それは原始時代の生活に戻るってことでもあります。
それでもデザイン不要論を語りますか?




と。

ここまではデザイン系学生さんなら誰もが思いつき、たどり着くレベル。
大学2年生レベルの解釈です(笑)


じゃ、そのスネオのママみたいな人が
「確かにデザイナーは必要かもしれないザマスが、うちのスネ様をデザイナーにさせるつもりは全然ありませんの。そういう人にまでデザインを教える必要はないでしょ?そういうのはお勉強がおできにならない方々がやればいいんじゃありません?誰にでも適性ってものがございますから。オーホホホホホ」
と言ってきたらどうします?
ぶん殴ります?
ぶん殴りたいね(笑)
言い返せないから。


さっき書いたのは「デザインの必要性」であり、「デザイン教育の必要性」ではない。
もっと誰もがデザイン教育を受ける必要性を考えなくちゃいけない。


続く。

続きはオープンキャンパス明けですね。

美術教育は必要か?2

前回はこちら
美術教育は必要か?1

前置き・・・・の前置きの続きです。


ディベート研修では、相手を打ち負かすことが目的ではなく、
●表裏から物事を判断・思考する大事さ
を学ぶのが目的です。
肯定派・否定派、両方の立場から物事を見つめることで、何が問題になってて、やるべきことはなんなのかが見えてきます。


はい。
ここから前置き・・・のための前置きの本題です。(わけわからん)

私の今のポリシーでこのブログで何度も書いてるし、そしてムサビ日記に参加してる方には必ずメールに書くセリフがあります。
それは



 否定するのはバカでもできる。

実は、この研修で学んだことなんですよ。

どの世界にもいます。
否定することが頭のいいことだと勘違いしてる人が。
で、こういう人に「じゃ、具体的にどうすればいいんでしょ?」と聞くと「それはボクの役目じゃない。もっと上の人が考えるべきだ」とか「●●をすればいいんじゃない?無理だけど(笑)」で終わったり。

これが外野からの意見ならまだいいんです。
「批評家」の存在は否定しません。
でも、いっしょに作ってる仲間から同じように言われたらカチンときますよ。
「他人のフリしてるけど、あんたも当事者なんだよ」と。
「ルールを決めてください」と怒ってる人に「あなたもルールを作る側なんだよ。あなたならどうするの?」と言いたくなることがたびたび。

前向きに物事を進めたいのに、このタイプの人のせいで前に進まないことが多々ある。
あなたが頭がいいのはわかった。
問題点がいろいろあるのもわかってる。
でも、前に進まないといけないんだ。
あなたもそれを一緒に考える立場なんだ。
頭がいいのなら、もっといい方法を提案してよ。
提案できないんだったら、それまでなんだよ。

提案できなかったとしても、「否定するのはバカでもできる」という意識をみんなが共有してるだけで、そのグループはいい方向にいくはずです。

そこで、

中学や高校の美術教育は必要か?

という話。
「美術教育なんていらない」という方向から書くのはすごく簡単です。

なので、できるだけ「美術教育は必要である」という立場で書いていきたいと思ってます。
以上、前置き・・・のための前置きの意気込みでした。

美術教育は必要か?1

ぼちぼち教育実習も近づいてるし、検索キーワードでも「教育実習 美術」「教育実習 挨拶」で飛んでくる人が激増しています。
そこで、

中学や高校の美術教育は必要か?

という赤岩くんや四輪駆動さん、みちくささん達が書いてる問題に、私も参戦してみます。
私も以前から一度書きたいと思ってたことなので。


と、その話に入るためにはいくつか書いておかなくちゃいけないことがありまして。
今回は前置き・・・のための前置きです(笑)




私立大学連盟(略称・私大連)という組織にムサビは加入してるんですが、その中堅職員のための研修っていうのに6,7年前参加したことがあるんです。
そこでやったのが「ディベート研修」。

1年間を通した研修で、年に4回集まるのね。
1チーム10人づつにわかれ、最初の1回目でディベートのお題が出される。
もちろん同じチームのメンバーは全員違う大学の職員です。
各自そのお題を調べ、メールなどで情報交換して、2回目で調整をし、3回目でいよいよ他チームと対決・・という流れでした。

いやー、思い出すのは、関西の某有名大学の方から「ムサビさんのホームページは充実してますねー。こんな情報も出してるんですか!」とメールが送られてきて、「でしょ?ムサビのWEBはすごいんですよ」と誇らしげに思いながらメールに張られたURLを見たら、tamabi.ac.jpだったこと(笑)
美大業界以外の広い世界から見りゃ、ムサビもタマビも変わらないんだと学びましたっけ・・・・。


ゲームとしての「ディベート」をやったことある人はご存知だと思いますが、単純に「自分は賛成派」という形でやるのではなく、午前は「賛成派」として戦ったら、午後は「否定派」として戦わなくちゃいけないのね。

その時のお題は



私学助成は必要である」。


「私学助成」とは簡単に言うと、「国等からの大学への補助金」です。
当然必要に決まってます(笑)
いらない大学なんてあるわけがない。

だから最初は「賛成の方が簡単だよね」とみんな言ってたけど、やっていくと「否定する方が簡単」なことに気がつきます。
なぜなら、既に存在するものはどんなものでも必ず不都合があります。しかも具体的な不都合が。
「私学助成に頼るのがいけないんだ。もっと大学は経営努力すべき。潰れる大学は淘汰されりゃいい。世の中は実力主義」みたいに既に見えてる問題点を突っ込めばいいんだもん。超簡単(笑)
だいたいの場合、矛盾点を追究してるから否定派の方が論理的に聞こえます。
逆に、その問題点を抱えつつ存在しつづける理由をちゃんと説明するのはかなり困難です。

ゲイサイに例えるとわかるかな?
「芸術祭は必要か否か?」というテーマにした場合。
誰もが心の中では「芸術祭はあった方がいい」とは思ってるけど、論理的に「絶対に必要だ」と説明するのはかなり難しいでしょ?
逆にいくらでも否定要素は思いつくはずです。
「だから芸術祭はいらない」てのはあまりにもお粗末な判断であって、「否定する方が簡単」ってことなの。


あ、長くなりそうなので、前置き・・・の前置きは次回に続きます。
つまり、これは前置き・・・の前置きの前置きってこと?