2011年08月のアーカイブ

過去を省みる

実家に帰ったときに

久しぶりに予備校時代の友人と
語らう機会がありました。

大好きな「お茶」ってやつです。



そしてお決まりの
心理学とか哲学とか
そっちよりの話。

といってもおカタイものでは無く

このときの主な議題は

「私はなぜ片付けができないのか」

でした。





私はいわゆる「捨てられない女」で、
でも
何が原因で部屋が汚れてるのかって言うと
主に「これ」というモノも無く

とにかく雑多な状態。

要る、要らない、を
決める事ができない、というか。

話しながら
自分で頭を整理していくと

私の部屋の中のものたちは

要る……5%
要らない……5%
どっちでもない‥‥90%

に分類できるのではないか、、、と自己分析。



本当に要るもの、要らないものなんてちょっとしかなくて、


どっちにも分類しがたいものたちで
部屋が溢れかえっているのではないかと。

そしてそれが完全に「要らない」のではなく、
ある程度の「量」に囲まれている事によって
なにかに満たされているように錯覚させているんじゃないか、、という。



それと私は
ノートをとったり
日記を書いたり、
家計簿を付けたり、、、

と、
何かを記録していく作業は
好んで事細かにやっていくので
整理整頓もできるんじゃないか、と

離れた関係の人からは思われたりするのですが

そういった作業と
部屋を片付けていくような作業は
根本的になにか違うんじゃないかと。




そしてさっきtwitterでひとりでつぶやいてて気づいたのは

私の思考は常に過去を向いている、

ということ。




そう考えると全部つじつまが合う。

過去のことを考え過去の事を思い、
日記につづり、
家計簿などで数字的な記録を取り、

レシートから講義の板書ノート、自分の描いたデッサンに至るまで

過去のものを捨てる事にとても抵抗があり、
それを失う事を恐れている。

部屋の中は
「思い出」「記録」という類いの『過去』であふれており、
未来の入ってくる余地がない。



未来のことを考えるのは苦手で
「これは将来的に要るのだろうか」という判断に
答えを出す事が出来ない。

先のために今何をすべきか、
何をしないべきか。



結局言い換えると

いま絶対「要る」と言い切れるもの(未来)……5%
いまは「要らなくなった」と判断されるもの(現在)……5%
上記の概念に当てはまらない「思い出」のもの(過去)‥‥90%

という感じかしら。





人と話してでしか気づけないことってやっぱりある。
ソクラテスも言ってたけど。

そして
自分の考えを文字にすることも
似たような効能を持っている。

もう少しで答えが出そう。





でもそんなことより

はやく部屋を片付けたい。



(でもこれが解決すれば、生き方が変わりそう。な気がする。)

帰省

今朝、実家から独り暮らしの家に帰ってきました。

今回の帰省は2週間くらい。
(そのうち数日はこっちに帰ってきたのでとびとびでしたが)

実家帰ったらあれやろう、これやろう、、

っていろいろ計画していったはずなのに
気づいたらもう帰る日。



今回の収穫としては
妹とちょっとまた仲良くなったことでしょうか。

それと

妹が急に飼いだしたわんちゃんとも
ちょっと仲良くなりました◎

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