2011年03月のアーカイブ

健康診断2011

オリエンとかとともに、健康診断の日程も変更になりました。

4日間あった日程が
ほぼ2日になってる。

健康診断で時間がかかるのがほんとにイヤなわたし。

イヤすぎて、
今日は健康診断で尿検査(ほんと苦手)に手こずる夢を見てしまいました。



就活とか教育実習とかを控えた3、4年生と、
まあとりあえず1年生(浪人生は長い間やってないだろうし)は、やるとして、、

2年生って、取り急ぎやる必要あったのかな……



なんて思っちゃいます。
私の場合は、3年も就活やらなかったので行かなくてもよかったかなー。

まあ、健康かどうか知るのは大事ですけどね。





でもムサビの健康診断は血液検査をやらないのよね。
ちょっと糖分摂りすぎで不安なんで
自分でお金出して、病院の健康診断を受けるって手もあるかな、、

とか考えてます。

なにがイヤって、
女子は尿検査にすごい並ぶのよね。

いっそ容器だけ持ち帰って持参したいくらい。

たろう

最近気づいたのは
春休みになって、
予備校時代を共にした
いわゆる「多浪仲間」と話したりする機会が増えて

就活にまっすぐ進んでいきがたい友人、が
多い気がする。

ということ。




たしかに多浪すると
将来をの道を決める岐路に立たされたとき
「んーー、ほんとにこっちでいいんだろうか。。」って
迷うのに慣れちゃって

そんなにすぐに自分の将来を決めらんないのです。

多分。



浪人を重ねて
迷うことに対して何度も向き合った。

物事とは向き合うのまでに時間がかかるんだけど
なんか、迷ってる自分と向き合ったりすることが長かったり。

なので
浪人して良かったことは?と聞かれれば
「いっぱい迷ったこと」
と答えると思います。

モラトリアム長くてすんません。



でも
すんなり大学生になって
就活して、、、って自分は
どうやっても想像できないんで
そうなることになってたのかなあ。とおもいます。



にしても
「4浪」ともなると
周囲の人を一瞬ひかせる威力を放つので
特に美大以外の人に歳を言うのはけっこう気をつかいます。

この力がなんかの役に立てばいいのに。



もしかして「多浪」ってワードも
美大以外の人にはうまく伝わらないのかもしれん。

美大生でさえ
むさび、たまび周辺の人は
多浪=2浪以上

って思ってる人が多いけど

私からすれば2浪はまだまだ少なくて
3浪以上が多浪かな、と。

2浪まではまだ技術的な伸びしろがあるっていうか、
3浪過ぎると人間性の部分でなにか問題がある場合が多かったり。笑。。

そんな、
予備校のキャパシティーを若干超えだして
ループしだしたあたりを、
「多浪」と定義させていただきます。

でも3浪以上した人は
何度もメンタル打ち砕かれてるから
心が優しい人が多いんだよ、って思ってる。

ちょっと迷いすぎる癖があるだけ。

そんなわたし、ばんさんかん。

2011.03.22-20:19

先日、初めて占い師さんに占いをしてもらって
私は、直感と運がいい人間のようだとわかった。

足りないのは行動力。



そう考えてみると

私は行動するまでが長くて
でも
思い切って行動したことで
その後に後悔するようなことはなかった。



来年度は、行動の年にできたら、と。

2011.03.20-0:31

なにか世間で
悲しいことが起こったとき、

それがおめでたいことだったときでも、

自分がその完全なる当事者ではなかった場合、
そのことに対して
中途半端な言葉を送るのが

失礼、と感じてしまう。



それは無関心なのではなくて
当事者の気持ちの大きさにはどうせ勝てないから、と思うと
言葉を発せなくなってしまう。



それは
ボキャブラリーの乏しさも相まってなのだけど

かんたんに
言葉にしてはいけないような気がしてしまう。



普段から
感情を表に出すのは苦手な方で
「すごーい!」とか「きれい!」とかも
ほとんど言った試しがない。

たとえ思っていたとしても
その気持ちは言葉にならずに
心臓の奥に染み渡る、そんな感じ。



心から悲しい出来事には
25年生きてきて、
幸運なことにまだほとんど遭っていないのだが
悲しい思いを抱いたときもきっとそうだろう。



なんでかなーと思う。



やっぱり
言葉を始めとする「out put」の行為、「表現」の行為に
人一倍身構えてしまうからなのかな、と。

そして
じぶんのその外に出す行為は
まだまだ未熟で
かたちになるのも時間がかかってしまうからかな、

と、
そんな気がする。





写真を撮ることに惹かれたのは
言葉を発するよりも、思うよりもずっとはやくかたちになる、

一瞬での表現作業に、快楽を覚えたからなのかも、

と、思ったりして。



たとえば
この日記に色をつける作業も
それにちょっと似ているのかも。

ことばよりもはやく
ちょっかんてき な なにか。

2011.03.20-0:09

緊急地震速報を、夕方久々に聞いた。

けど私のauの緊急地震速報がやっぱりおかしい。

ケータイのは
揺れるときに鳴らず、
揺れないときに鳴るのよね。

地域設定がおかしいのか。
なんなのか。

しかしあの音は心臓に悪い。

結局ここ数日
計30時間以上のバイトがすでに白紙になって
TVでニュース見ながらtwitter見て、、って

電力を使うことしかしてない。。
(TVつけてないと緊急地震速報が、、っていうジレンマ)


そろそろ節電もそうだし、
なにか生産的なことをすこしでもしないと、って思うけど

うーん、何をやろうか。(いやいや、やらなきゃいけないことは山積みなはず)

でもこういうときは
やっぱり語学かな。

そつぎょう

卒業生のみなさま
ご卒業おめでとうございMAU

またどこかで再会できる日を
楽しみにしています◎



私は今年の卒業生とは
直接関わったことのある人が少なかったのですが

友達のほとんどが
先輩がいなくなるのが寂しい、と言っているのを見て

私は来年、そう思ってもらえる側になれるだろうか、と
不安になったのでありました。



これは結構昔からなのだけど
(小学校高学年からかな?)
1こ上の学年に抱く、なんとなくの苦手意識。笑。

私が長女として育ったからなのか
なんとなくの負けず嫌い意識?

計画停電 2日目

小平市、
今日の停電は夕方でした。
前日の始まった時間までの3時間なので、連続してると覚えやすいですね。

明るい時間ならだいじょうぶ〜

って思って、
床で毛布かけて寝てましたが

6:00ごろになると結構寒かった。



こんなんで寒いとか言ってたら
被災地の方々に申し訳ない。

ここ数日ちょっと環境が変わったからか
右のほっぺたの内側が痛い。

寝てる間に噛んじゃってるみたいで
(横向きに寝ると、どっちに寝ても噛んじゃうみたいで)
それがちょっと悪化してる。

口を開けるといたいです。



食事の回数も減らしてて
家にあるものを食べようと試みているので
(全然出かけてないというのもあるけど)

ビタミン的なものを接種した覚えがほとんどないので
いつなおるのだろうと
ちょっと心配してます。

でも
私のこんな心配も
平和だからこそですよね。

計画停電 1回目

さきほど、
小平市で最初の、停電が終わりました。

18:40くらいから2時間くらいかな。

予定されてた時間を20分過ぎて
急にぷつんと停電しました。



外の街頭とかも消えてたけど
外の明るさにはびっくりでした。
カーテンあけつつベッドでじっとしてました。



終わりの時間が分かってる停電なら
全然我慢できますね。

ただ、
電気が復活するときに、インターホンが鳴ったのには
だいぶびびりました、、、!
(みんな送電時に鳴るようになってるっぽい)

停電するときよりビビるので、まだ停電になってない人は気をつけて!



それにしても
電気ってありがたいなあ。

2011.03.14-23:15

明日の小平市の学校周辺は
朝の6:20〜10:00に計画停電と、
発表されてる。

明日こそは本当に停電するんだろうか。

送電時に
火事になることがあるので
ブレーカーを落としておくべし、

ってやつが
めっちゃ怖い。



早くおろしすぎたら
冷蔵庫の中が困るしな。

西武国分寺線は明日も運休の予定。


とはいえ
今日も夜は国分寺線も動いていたっぽいので
明日はちょっといろいろ様子を見に行ってみます。

2011.03.14-17:43

12日に帰ってきてから
ずっとテレビ見てtwitter見てる。

節電しろ、って話なんだけど
なにしたらいいのか分からず。。




今日も本当はバイトだったのですが
電車は終日運休、バスも分からなかったので
お休みをいただきました。

停電は結局免れたけど
明日以降はどうなるんだろう。。



ムサビは卒業式の式典が中止になったと連絡が来ました。

いろんなことがまだ理解できない。

小平市

さっき
小平市役所から、節電をお願いしますの放送が入った。

やらなきゃ、と思っても、
TVとパソコン(デスクトップのマックは消しました。いまはノート)が
気になっちゃって消せません。。


11日、留守にしてる間には
やっぱりガスが止まっていたみたいで、
ガス復旧 ってやつを
初めてやってみた。

まさか一人暮らしの最中に
部屋の外のガスメーターが入ってる扉を
開く日が来るとは。



外は暖かく、
小平市は平和です。

でも
やっぱり近隣の店では食料とか水が不足しているみたい。

捨て忘れてたペットボトルに
水道水でも貯めておこうかな。

午前中、
何日か前に、ポイントを貯めるためだけに頼んでた
レトルトのカレー12食セットが届いた。

数日前の自分からの差し入れ。

ヤマトのお兄さんも
こんなときにすんません。ありがとうございます。



明日はホワイトデー。
バイトは入ってるけど、
売るものがちゃんと在るのか心配。

地震のこと

みなさん無事ですか?
私はさっきやっと、TVでニュースを見始めました。

まだ悪い夢を見ているみたいで
今日が何曜日で今が何時なのかもわからない。

見始めたばかりなので
原発も津波もあまり把握できてません。
頭がついていけてない。

これが本当に現実なのか。




11日はというと
多摩美の環境の卒展を見るべく
原宿にいました。

4年前浪人時代を共にした
SちゃんとMちゃんを誘っていきました。

結構突然誘ったのに
いま考えると3人の予定がばっちり空いてて
今日一緒に出かけることになったのは結構奇跡。


原宿に11:00集合。

Sちゃんだけ
寝坊と集合場所間違えで遅刻。

12:00ごろ、3人で原宿クエストホールへ。


一通り見て、
出展者で同じ予備校だった友人には会えずで
「なーんだ」って感じで
タマ環の人が出してくれたウーロン茶を飲みながら
14:30くらいまでクエストのソファーで思い出話。


このあとの予定は全くのNOプランだったので
パフェ食べたい!とか言いながら
Sちゃんの新しいアンドロイドで検索。

とりあえず歩いて探そう、と外に出ると
軽いお天気雨でした。

虹が出るかも!と
空を見ながら表参道を歩きました。


ラフォーレの近くの
安い食器が売ってる店に寄りたかったけど
荷物になるので帰りに寄ることにしました。


道路の向こう側に
気になるカフェを見つけて渡ろうとしたとき

地震が起きました。

最初は
トラックかなんかの震動かとも思ったけど
違いました。


目の前はガラス張りのビルだったけど
身の回りではただ揺れただけで
なんの被害もなさそうだった。

この時点でメールがもう通じなくなり、
ケータイの待ち受けに流れるニュースは
依然としてどうでもいいニュースだけだった。


欧米人カップルが恐怖におびえていた。


しばらく外にいて
周りの人が「震度5だって」と噂するのを聞き、

もう一回くるかも、と
表参道駅方面へすこし歩きました。

大きな交差点に差し掛かったときに
次の大きな揺れ。


今日はみんなに会うから、と思って
カメラを持って行くか、ぎりぎりまで迷っていたのだけど
結局持ってこなかったことを後悔。

このあと何が起きるのかわからないけど
写真で生きて行こう、と決めたのに
こんなときに何もできない、ということと、
家に大事なカメラを不安定なところに置いてきてしまったかも、
両方が後悔。

ケータイのムービーで撮った映像をさっきパソコンで見ましたが、
画素が粗すぎて、自分たちの焦ってる声しかわかりませんでした。



どこへ行けば安全なのか全くわからず
でも代々木公園にいけば安全なのでは?と思いつき、向かいました。

途中でヒルズのトイレに寄りましたが
出てきたときに「入館が禁止となります」のアナウンス。
ぎりぎりセーフ。


原宿に詳しくない二人を先導して代々木公園へ。

写真学校の実習とかでこの辺にはよく来ていたのでよかった。
ちょっと前の私だったら知らなかったよ。このへんのこと。


代々木公園には
目の前の体育館とか競技場から来た人もいっぱいで
みんなが中央広場を目指してた。

はやくそっちにいきたかったが
Mちゃんが「なにか買おう」と言うので
入り口の売店に並んで、お菓子とティッシュを買った。
このときのティッシュが、
ペーパーのない公園のトイレにとても役立った!
ティッシュ侮れない。

公園に着いたものの、
屋根なくて寒いしなにもないし暗くなってきたし
安全だとはいえここに居続けるのは無理。

原宿駅に戻ると
駅のテレビでニュースが流れていて
信じられない光景が流れていた。
また余震が来て、みんな構内から追い出され、
原宿駅にはついにシャッターが下ろされた。

なんとかなると思ってたけど
このときの絶望感はいままでにない。


駅前はどの店も閉まり始め、
また公園に戻った。

都会にいれば大丈夫となんとなく思ってたけど
全部しまっちゃうんだ。
電気も水も止まってないのに、
トイレさえ不自由だなんて、、、!





それから
大人が、代々木方面にむかっていっぱい歩いてゆくので
ついて行くことにしました。

Sちゃんが声をかけてくれて明らかになったのは
みんな多摩方面に歩いて帰る人の波だった。

途中、クーザやってる通りの前に出てた出店で
お好み焼きを買った。
こんなときに商売してくれてありがとう。おじちゃん。

ビニール袋に入れてもらって持ち歩いて、
半分だけ食べた。
次のご飯がいつになるかはわからなかったから。

展示見たあとに早めの夕飯にするつもりでいたからおなかはすいていたが
Mちゃんが言ってくれなかったら食料調達なんて忘れてた。きっと。


「帰る?」「どこに?」
鎌倉も鷹の台も遠かった。
どっちに帰っても安全かはわからなかったし、
もう既に夜。

公衆電話に並んで
お母さんとやっと連絡を取った。
鎌倉はとりあえず大丈夫ぽい。

外苑前にあるお父さんの会社に行こうと考えたが
いないかもしれないし、会社の建物はボロそうだったし
連絡も取れず、で
私たちはまた歩き始めた。 (あとで無事と判明)



交番の人に相談して
湘南まで帰るのは無理、と言われた。

3人の住んでるところはバラバラだったし
今日はどこか泊まれる場所を探そうということに。


「NHKホールに行こう!」というSちゃん先導でホールに行ったものの
入れてはくれなかった。
またトイレに行きたくなってきたので
危険かもしれないけど渋谷方面に行ってみることに。

コンビニは食べ物がほとんど売り切れてた。
電池で動くケータイ充電器と、電池を4本、ティッシュを2箱とお菓子を買った。
区役所の近くのトイレはキレイで
ちょっと元気を取り戻した。


「桑沢に行ってみようよ」と私が提案。
唯一の桑沢受験者だった私の先導で桑沢デザイン研究所へ。
そのときで20:00。ビルには21:00まで、と書いてあったけど
藝大生。多摩美生、武蔵美生、の私たちなら
屋根くらい貸してくれるかもしれない、という自信があった。
何があっても、公園とか公衆トイレに泊まるよりはきっとマシ! なはず。


受付に行くと、
外部の人の受け入れは特にしてなかったみたいなのに
こころよく受け入れてくれた。
TVのある部屋、食べ物、暖かいお茶を用意してくれて
固定電話も貸してくれた。
結局身分は明かさず(前に受けたことがある、とだけしか)終いになってしまったが
見ず知らずの私たちを暖かく迎えてくれた。

このビルが安全なのかは分からなかったけど
屋根、暖かい場所、きれいなトイレに出会えて、なんて天国。

そしてなんと驚きだったのが
案内された部屋に、偶然、ここで展示をやっていたという造形生が何人かいて、
予備校時代一緒だった、Sくんがそこにいたのです!!

私とかはほとんど忘れられてたけど
今日初めて知ってる人に会えた安堵感。
しかもSくんは、Sちゃんのお気に入りだった相手なのだ!
(今考えると、奇跡的すぎて笑える)



その晩、うちらはコートも着たままじっと座ってたけど
みんなといたからあまり怖くなかった。
笑って過ごせてた。
Sちゃんのワンセグで見たニュースも嘘みたいだった。
TVの無い部屋に移動してきたのは、なんとなく正解だった。
30分くらい寝たかな。よく覚えてません。




考えると奇跡続き。

時間通りに集合してたら、変なとこにいたかもしれない。
集合時間もナイス。
Sちゃん待ちで、サンマルクカフェに寄って軽く腹ごしらえしたのも。
晴れてたのにちゃんと冬の格好で行ったことも。
クエストのEVとかに閉じ込めらてた危険もあった。
虹を探してなかったら、どこかの室内にもう入ってた。
表参道だったのも道の広さとか、建物の新しさを考えるとよかった。
パフェ食べてたら寒くておなかも壊してた可能性。
トイレが近くなってた可能性。
どっかの店内で危険にさらされてた可能性。
地下の食器屋に入ってた可能性。
表参道ヒルズのトイレに入ったタイミング、
公園の売店に駆け込んだタイミング、(夕方で閉まった)
優しかった桑沢の人、
ポケットティッシュと食べ物を買ってくれたMちゃん、
行き先を決めてくれたり、人に聞いてくれたりしたSちゃん、
ちょっとだけこの辺の地理に長けてた私。
桑沢にいたSくん。笑。



なにより、
この日を一人で迎えなかったのが一番の奇跡。
一人で原宿とか来てたら、どれもきっとかなわなかったし
電車に乗ってた可能性もある。
考えただけで怖すぎる。
苦しい時期を一緒に過ごしたこの3人組は
精神的にも最強過ぎた。




あしたのTOEICが中止になったことをさっきYahooメールで知りました。
見つからなかった教本も、勉強しなかったもラッキー。
気づかず行かなくてラッキー。
そりゃ入試じゃないんだから、やらなくても平気だよね。

中央線が全然動いてなかったりで停車中も眠さ爆発で、
かっくんかっくんしながらも武蔵小金井停車中、ドア開閉係にされて大変だったけど(初めて押したぜ!)
一回帰って制服をとってきて、3時間遅れでバイトに行って1時間半だけ出て、
歯医者行って、
コンビニ寄って帰って
さっきの緊急地震速報の音で眠りから覚めました。

昨日から何度も聞いてる音だったけど
ひとりだとなんと心細いことか。
ただのアラームでも結構ビビるのに。

帰ってきた自室はもともと汚かったこともあるけど
レンジの上に置いてたお茶のパックが落ちてたくらいで
全然平気でした。なぜ?笑
モノが多すぎで揺れても移動しないのかも??

パソコン、これからは固定しとこうかなと最近思った矢先でしたが
首がちょっと傾いてただけで済みました。
落下とかしてなくてよかった。




学校は食堂が開放されてたみたいだけど、
自室にいたら、学校に避難とかもしてたかどうかも怪しい。
近くに住んでる友達がみんな学校に行ってるわけじゃなさそうだったし、
インターネットとかもつながるんだったら家にいたかも。

いろいろが信じられなくて実は夢なんじゃないか、って思う
実際、こうゆう夢は時々見る。


前日友達の家に泊まったこともあって
ケータイの充電60%で出かけたのは危なかった。
電池じゃ全然チャージされないから
twitterは動いてても、

閲覧する電力が無い。

単三4本があっという間に無くなった。
スカイプも使えたみたいですが、普通のauケータイはメールも数時間遅れ。
センター問い合わせしないと届かないからさらに消耗。
神戸の弟からも着信が入ってたけど、返事のメールは届いたかな。

今日、持ち歩く用の充電器(コンセントからのやつ)と
単三、単四の電池のセットを買いました。


天候も含め、今回私はすべて奇跡的だった。

15年以上前から言われてる東海沖地震。
これは完全に人ごとではないから。

一人は心細い。
ああもうこれから大丈夫かなあ。。。!




それにしても
桑沢デザイン研究所の方々には
本当にお世話になりました。
感謝の気持ちはいっぱいです。
バイトに行くべく早朝にそそくさと出てきてしまったので
ちゃんと挨拶できなくてごめんなさい。

適当な都立校とかに行かなくて
ここに行けたのはほんとよかった。
壁の絵の具のあととかも
学校は違えど仲間って感じがして安心しました。