2009年08月のアーカイブ

2004年の夏〜18歳の思い出

うっかりしてる間に数日が経ってしまいました。。

夏ももうすぐ終わりって感じですね。
でも明日はまた30度越えするらしいです。

8月31日といえば
高校生までは夏休み最終日でした。

でも、
浪人生はやっと夏期講習が終わって
少ない夏休みを堪能してるころでしょうか。

ムサビは9月の第2月曜日から学校なので
もう1週間休みであります。


この前、バイト先の普通大学の人たちが
まだまだ夏休みと聞いてビックリしました。
一番長い人で10/20から学校っていう人もいました。

ムサビの夏休みは短い。
とはいいますものの、
高校→予備校しか経験してないと
『まあ、そんなものか』と思います。



2004年。
18歳。

一浪の夏であります。

高校生の時に比べたら
ちょっとは実力がついてきた感がありましたが
まだまだ戦えるレベルではなく。。



夏休み最初の色彩構成で
なんだか急に閃いて出来た絵があって、
普段ライバルだと思ってたあまり仲良く無い子まで
『これ、いいよね〜』って言ってくれたことがありました。

デザインってこうゆうことか!って
その時はちょっと思ったけど、
それ以降はたいしたヒットがなく。。。笑



立体(粘土)も死ぬほど苦手だったけど
なんだか割り切って作ったコンクールの作品が
まさかの1位に選ばれ、
少しだけ立体に自信が持てました。

でもこちらもこれ以降たいしたヒットがなく。。。

結局1年のうちでこの時期から秋くらいまでがピークで
2浪することになってしまったのです。




この年には友達ができました。

現役のときは
『どうせみんな敵になるんだし!』
って思って友達を作らなかったけど、
作ってみるといいもんですね。

話してみると、
意外と同じようなことで悩んでたりとかするもんです。

一緒にGDPを見に行ったり
銀座のギャラリーに行ったり、
浪人生ならではの放課後の使い方もしてました。

結局5人組のうち
二人は女子美へ、
二人はタマビへ、
私はムサビへ来ました。

別々の道に行きましたが
いまでも時々会って、ギャラリーを巡ったりしてます。

逆に高校の時の友達とかの方が
卒業してから全然連絡取ってなかったり。
(まあ高校でも友達すくなかったけど、、、)



女子美に進んだ一人はこの春に就職し、
来年の夏には結婚する予定!

初結婚式にちゃんと出席(先生のにちょっとだけ、とかはあった)です☆
それまでにどうにかして痩せなきゃー。


とか言いながら
今年の夏は全然痩せられなかったからーずです。
あんなにバイトがんばったのに。。。

2003年の夏〜17歳の思い出

また雑誌を衝動買いしてしまいました。。

カメラ雑誌2冊とフツーの洋服の1冊。




カメラ雑誌とかデザインの雑誌って
高いから痛い出費です。

でも、
2.3冊まとめてぼーん!と買うのが好きなんです。

財布に3000円以上入ってたら注意です。

今日は3500円くらい使いました。
(実家でおばあちゃんにもらったお小遣いなのに、、、。)



昔から本が好きなんです。

でも、読むのはあんまり好きじゃないです。

なんだろう、
手に取って、ページをぴらぴらめくって、いろんなページがあって、、、
っていうのが好きです。

だから買う時は早いですよ〜

ぱ〜〜〜って
めくってすぐに
『これ買おう』
って決まります。

内容じゃなくて
ページの紙質と
文章の量とカタチ、配置のされ方
写真のレイアウトなどなど、
モノとしての本が好きなんです。

だから文章自体は何語だってかまわない。
(でも洋書は独特の匂いがするので日本産が好きです。)

そんなわけでうちには読んでない雑誌がいっぱいあるのです。



これ、平面系デザインを目指しそうでしょ?




2003年。
17歳。


高校も3年にあがり、
予備校も基礎科から受験科にあがりました。
私はデザイン科を選択。

本当は油画科とかも迷ったけど、
受験科体験授業のときの
デザイン科の先生が優しかった&少し評価されたから
デザイン科に進みました。

高校選び同様、テキトーでした。

さらに年度の初めの石膏デッサンを
その優しかった先生に1番に講評され、
その先生が芸大系で教えてる先生だからっていう理由で
私は東京芸大を目指すこととなります。

しょーもないっす。



評価されるところでやりたい。

っていうのは
昔からの私のスタンスでした。



浪人生に混ざっての夏期講習は
思ってた以上にしんどくて、
何度も嫌になりました。

まず、一日中絵を描くのがしんどかった。
朝早く、夜遅くまで。

しかもスーパー上手い浪人生より評価されるはずもなく、
自分下手ー!!って嫌になってました。



それでも
その優しい先生は
『講評されなくても必ず見せにおいで』って言ってくださって、
講評後に見せにいって、
講評されなかった絵にコメントをいただく
という活動をしていました。

何回も家で描き直して持って行ったり。


結局ご存知のとおり
私は浪人することとなり、
優しい先生は予備校を辞めることとなり。

でも
このあと何年もがんばれたのは
この夏にがんばったからだと思います。



思い込んだら一直線タイプなので
この年からずっと芸大1本。

ムサビは4浪目にして初受験で合格だったので
いま思えば
ムサビ向きだったのかも、
現役で受けていれば、、、

チラッと思うこともありますが、
多分ステキな未来は訪れなかったはず。



その人のタイミングで
その人に合った学校が
『おいで』って
言ってくれるような気がします。

そんな呼ばれるような人になれるように
日々がんばりましょうってことですね。

2002年の夏〜16歳の思い出

帰って参りました☆
実家から。



本当は
ガイドブックとか買って、
地元だけど観光気分を味わいにいったり、
久しぶりに海を観に行ったり、
家のピアノをひさしぶりに弾いたり、
早起きをして自転車の練習をしたり、
予備校に遊びにいったり、
荷物の整理したり。。。

5泊6日もあるし
有意義に過ごそう〜と
思ってたのは前日まで。

あっという間すぎる6日間でした。

上記のあれこれは
何一つ実現できぬまま今日に至る。

弟とゲームしすぎたのかも。。


次に帰るのは
どう考えても年末年始までないです。

これから年末までの数ヶ月は
怒濤の数ヶ月になる予感がします。

あっという間に来てしまうんでしょうか。

とりあえず
芸祭まではあと66日らしいです。

わお!




2002年。
16歳。

この年の夏、
まさに予備校に通い始めました。わたし。

キッカケは
毎月のように来る、『無料体験』のハガキ。

地元の駅にももう一個予備校があったんですけど、
そっちの体験授業に行ったら
小学校でいっしょだったYちゃんがすでにいまして。

なんだかいっしょのとこではやれない!
と思い、2駅となりの予備校に行ってみることにしました。

無料体験が5月。
6月はサッカーのワールドカップを見るのに一生懸命だったので
(意外とミーハーなのです)
7月に授業見学に行きました。

そこで描いた、
人生で1枚目の石膏デッサン(木炭)が結構褒められまして
そのまま夏期講習の申込書をもらい、
気づいたら初心者コースに申し込んでおりました。



小学校ではパットしなかったけど
中学で成績に5がつくようになり、
デザインコースに進学した高校でもそこそこいい成績で
美大受験の予備校でもそこそこ。

一番にはなれないけど
その環境の中でそこそこの位置を占めることができるらしいです。



夏に始めたばっかりだったのに
年末に行われる、高1の春からやってきたような人もいるコンクールで
なんと3位を取ってしまったのです!

そこからすこしずつ
調子に乗っていくのですが
あの時のトップ10は科さえバラバラなものの
ほとんどが芸大に進学してたりします。いま思うと。



学校の課題などを通して
この頃からグラフィックデザインに興味を持ち始めます。

というか、
おもしろそうだなーと思ってた分野が
社会でいう所の
広告とかグラフィックデザインだということを
知っていきました。

将来のヴィジョンが
一回かたまりかけました。

2001年の夏〜15歳の思い出

バイトしてきました!

他店ヘルプ初でしたが、
や〜テンパった。笑。

そのお店ならではのルールとかあるし、
何がどこにしまってあるのかも分からんしね。



他の店からヘルプに来た人も一緒だったのですが
彼女はベテランさんだったので、(でも4年生らしいので多分年下)
だいぶいろいろまかせてしまいました。

大人との会話を
スムーズにできる人になりたいです。

まだまだカタコト!


2001年。
15歳。

結局成績はたいしてよくなく、
水泳が本当にいやだったので

そこそこの成績(平均オール3無かった)で入れて、
プールがなくて、
治安がいい学校☆

で絞っていくと
たどり着いたのはデザインコースのある学校でした。

週休2日で(まだどこの学校も第2.4土曜日しか休みじゃなかった頃)
冷房もついてたし。



そう、たいした意味はなかったんです。

好きなことやってる、
と思わせれば
オバカな学校でも言い訳がつく、っていう魂胆です。

美術とデザインとコースがあるのですが
なんでデザインか、っていうと


なんとなく。笑。


美術の方がなんとなく汚そうで
なんとなく粘土とかやりそうだから。笑。



はい、粘土が心から嫌いでした。


(ちなみに弟も粘土嫌いで、家ではNGワードです)



とか言っときながら
数年後には受験で粘土ばっかり扱って、
ゆくゆくは得意になって好きになっていくんだから




人生って本当にわからない☆

あれれー
ですよね。



ちなみに、
その頃は大学に行く予定とか特になかったけど
英語とかフツーの授業の単位数が少ないせいで
むしろ普通大学を目指す方が厳しい。

という高校の弱点が後々わかりまして(デザイン科デザインコースだからなー!)
専門行くくらいなら大学がいいや、ってことで
大学を目指すことになります。

先生も新任の先生ばっかりがデザインコースを担当してるせいで
面白くないしわかんないし、進まないし。

ちなみに
同級生のほとんどは専門学校へ進学。

私はその他の勉強もしたかったので
大学進学を希望しました。




高校の授業で一番為になったいう意味でおもしろかったのは
特進コースの英語の先生が担当する特別講座(7時間目)で、
デザインコース唯一の参加者であった私は
結構がんばってた甲斐もあってかわいがっていただけました。

やっぱり全然ちがう。
分かりやすくておもしろい授業でした。

これキッカケで
私はまた英語が好きになります。

この頃の最高成績は
高2の夏に英検2級取得!

英語2だったとは思えないでしょ笑。

この頃に読み始めたハリーポッターの原書。
飛ばし飛ばしで今は6巻を読んでます。
長い趣味であります。



さてさて、

この時点で
ムサビはなぜか眼中にありませんでした。

美術以外のことも学びたい、っていう
やりたいこととはかなり合致してるのに

なんででしょうね。
まあ、単純に知らなかったんですけど。



正直、
タマグラ志望でした。笑。



高校に受かってすぐに、
近隣の予備校から毎月『無料体験』のハガキが送られてくるようになりました。

年初めの立派なパンフレットに感動してしまい、
私は予備校に通うこととなるのです。



それはまた次の年のハナシ。


ちなみに
無料体験よりも前に参加したのは、

予備校主催のムサビ説明会でした。


だれかムサビの先生のお話を聞いたはずなんですけど
今となっては全然思い出せないです。

誰だったか、すら。

2000年の夏〜14歳の思い出

今日のバイトは他店へヘルプに行きます。

チェーン店ですからね☆

初ヘルプなので
今からかなりドキドキです。

アウェーでありますからね。

ほんとはその足で実家に帰ろうと思ってましたが
バイトの制服一式持ってじゃあめんどくさいので
明日帰ることにしました。



日記更新できるかしら?
パスワードが思い出せないんですけどどこにあったっけ。

こういう時にノートパソコンだと便利ですよね。

やっぱり欲しいな〜。




2000年。
14歳。

この年の夏といえば、
人生初の『夏季講習』でした。

中3ですからね。

前述のとおり
あまり成績が良くなかったので
試験の方だけでもがんばろうと思い、塾へ。

この時までは塾をバカにしてましたが
やー、なんと素晴らしいものなんだろう!と思ったものです。

とにかく教え方がわかりやすい!

学校の先生の比にならないような分かりやすさでした。



5科目とってましたが
全部好きになった!

国語の古文、
数学の確率、
英語の現在完了、
社会の三権分立、
理科のイオン、

この時に習った一部分だけ
理解が深まりました。

ここだけできてました笑。



特に理科と社会が好きになって、
法律の勉強とかしたいな〜と思ったり、
バイオテクノロジーとかたのしそうだ、と思ったり。

でも私がこの頃目指そうと思ってたのは
デザインコースのある私立。

理科も社会も必要ありません。



必然的に学校の授業に戻るとまた分からなくなり、
フェードアウトしていきましたが
もうちょっと早くに興味を持っていたら
今ムサビには居なかったかも。




この時ぐらいから
やりたいことがいっぱいになり始めました。

デザイナーは選択肢の一つで、
むしろ将来はデザインとかやらないかも、美大も行かないかも、
とも思ってました。

デザインの中にも
いろんな分野があるってことを
よく知らなかった

このころ。

1999年の夏〜13歳の思い出

北乃きいちゃんの『二十歳は一生物』のCMを見る度に
振り袖が着たくなります。

からーずです。

うちの学年は、
現役で入学した人たちが今年成人式なので
身の回りには『前撮りしてきた〜』とか
言ってるうらやましい子たちが多いです。

考えたらもう4年も前ですよ。



サッカーのワールドカップが来年ということを
今日知って、めっちゃビックリしました。

ついこないだやらなかった?

むしろ
日韓開催がついこないだですよ。

考えたらもう7年も前ですよ。



某さんの日記で、『ミレニアム』という単語を久しぶりに思い出しました。

そういえば結構騒ぎましたよね。
2000年問題とか懐かしい。

’98、’99と来て
’00、’01…と続くのが変な気がしてましたけど
今となっては左にゼロが落ち着きます。

考えたらもう9年も前ですよ。



2000年になってから、
私の記憶はなにがいつなのか曖昧になってきてます。

1999年がいつになっても
4、5年前に感じてしまうのは

私だけなんでしょうか。






1999年。
13歳。

中学も2年になり、
どうやら私は美術が得意らしいことが分かってきました。

図工は前にも書いたようにそれほどでもなかったし、
小学校の成績はたいして厳密でもなかったので
5段階の超厳密な相対評価は
良くも悪くも、自分が正確に評価されているようで嬉しかった。

相対評価自体、いまとなっては懐かしいですよね。
何個か下の学年から絶対評価になりましたから。



この時の美術の先生が
いろいろやらせてくれたひとで、
それもまた良かった。

コラージュ、プラ版でエッヂング、銅版、石を彫ってはんこづくり、
石膏でマスクづくり、、、

ほかにも鉛筆デッサンやクロッキー、
物語から発想して抽象画を描いたり、と
美術っぽいこともしました。



ただなんとなく『好き』だったのから
文化祭で飾られたり、成績によって『評価される』のに変わると
もっと美術が好きになりました。



体育がニガテで、水泳も中学は全部欠席。体育1。
数学もニガテで、マイナスが出てきた時点で拒否反応。数学2。

ほかも全然たいしたことなく、
唯一ずっと5だった美術は
いつしか私の武器になっていったのでした。




でも今思うと
技術の授業も好きだった。

本棚作ったり、回路図書いてハンダ付けして懐中電灯みたいなのをつくったり、
パソコンを使った授業とか。

図面(簡単な図形クイズレベル)のテストも
ゲームみたいで楽しかったです。

工デですよね〜。



2、3年の選択授業では
実技系の科目から1個選ぶというのがあったのですが
私はもちろん美術。

鎌倉彫とか粘土でなにか作ったりした気がしますが
あまり記憶にない笑。

技術のクラスは
中庭に置くテーブルとベンチを作ったり
金属を彫ってキーホルダーを作ったりしていました。



うーん、いま思うと
それもやってみたかった。



技術家庭科はずーっと4でした。

なぜかというと
家庭科が苦手だったからです。

そしていまも家庭科が苦手です笑。




そんな私、
ついにハピコレを始めます☆笑
料理できるようになるぞ!!

1998年の夏〜12歳の思い出

昨日は帰ってきた店長との再会でした。

留守番の間のことは
なんとか大丈夫だったものの、
その安心感からかクレームが2件発生。。。

今回のは私では無い気がするんですが
連帯責任ってことで。



夏休みなのに
あんまり夏休みっぽくない毎日です。
フリーターのような日々。

もうすぐ8月も下旬です。
みなさん宿題は片付けましたか?

中学のころの私は
もちろんこのあとから取りかかってました。





1998年。
12歳。


中学生になると、
『授業なんてほとんどやらない学校』から
『授業から規則までがっちがちの学校』へ変貌しました。

一応国立の中学校だったので
外からがんばって受験して入ってくる子も入れば、
私のように何もしないまま
エスカレーターで来ちゃった子もいる、という。

授業らしい授業も、
宿題というものの存在すら初めての経験だったので
最初の夏休みは大変でした。




各教科から2課題くらい宿題がでてて、
終わらしたものといえば
美術の絵はがきくらい。

このあたりからの悪い癖は
いまだに治ってません。

締め切りギリギリになってからやりはじめます。




『あ〜やらなきゃ』って思いながら夏休みを過ごし、
最後の1日、2日で終わらすんだったら
7月中にやったらいいのにね。

夏休みの7月
ほぼ無かったんじゃないかっていうくらい
あっという間に過ぎます。

楽しいのは8月の最初まで。



ですが今年は
今週の週末から実家に帰るっていうことを
一ヶ月以上前から企画していたので
これからやっと夏休みって感じです。

3月末から帰ってなくて
(しかも寝に帰っただけ)
3泊4日までしかしてなかったけど
今回は5泊6日を予定☆

なんとも楽しみであります。




帰ってきたらほんと、
もうすぐ学校だ!

1997年の夏〜11歳の思い出

いや〜、今日のバイトは大変でした。



まだ入ってぎりぎり1年経ってないのに、
今日は店長業務を任されました!

店長も、副店長も、ベテランのパートさんもいません。

なんかキンチョーやらなんやらで
普段はしないようなミスもしてしまいましたが
(おつりを返し忘れてしまったお客さんが。。。)
なんとか1日が終了しました。

明日は店長がバケーションから帰ってきて
答え合わせをしてくださいます。

この夜がどきどき!



帰り道、
アレはちゃんと入力したかしら、、、とか
アレは大丈夫、だよね???とか
いろいろ振り返って不安になってました。



今日は一日がとても長く感じましたが、
この頃も毎日がすごく長く感じていた気がします。




1997年。
11歳。


この頃はというと、
毎日がつまらなくて
学校が嫌いでした。笑。

担任の先生は体育の先生で(5.6年)
毎日のように体育があったので本当に嫌でした。

弟の先生は算数の先生で、
先生自身が体育が好きじゃない、とかで
ほとんど体育がなかったらしいです。

うらやましい。

弟的にはこっちがうらやましかったみたいだけど。



このころ、
学校にはパソコンが導入された記憶があります。

Windows95です。

キッドピクスっていうお絵描きソフトが好きでした。



あと、スーファミのマリオペイントがたまらなく好きでした。
(先日工デの友達にマリオペイントが伝わらず、ジェネレーションギャップを感じましたが。)
特にアニメーションをつくるのが好きでした。

最近フォトショとかやっててわけが分からなくなると
急に昔のソフトで遊びたくなります。
昨日Flashをいじり始めて思いました。


我が家にパソコンが来たのは
小6の冬だった気がします。

ソリティアばっかりやってました。



インターネットといえば
もちろん電話回線。

モールス信号みたいな通信作業(待つだけですが)を
10分くらい過ごすという
今ではとうてい考えられないようなことが
当たり前だったわけで。

びっくりですよね。




そんな電話回線のような
退屈な毎日だったような気がします。

好きなことといえば
プレステの人生ゲームをやることくらい。

学校も習い事もつまんなくて
毎日ヒマだった。

人生のMAXヒマです。この時期。

1996年の夏〜10歳の思い出

夏休みには本を読もう!今年こそは。

とおもってリストを作ったっきり
一冊も読んでません。

ドラクエちょっとだけ進んだくらいです。

最近はハリーポッター6巻の
原書を辞書ひきひき読んでます。
夏終わるまでに読み切りたいなー。



英語は好きです。

得意では全然ないんだけど。



そしてハリーポッターやらの影響で
イギリス英語に憧れています。

厳密な違いとか聞き取れないけど。



ちなみにからーずは
イギリス英語で『colours』です。
『colors』ではないのよ。




1996年。
10歳。

この年は、
私が英語に出逢った年です。

ECCジュニアに通い始めたんです。

家の近くのふつーのお宅で
レッスンは行われます。

ほんとに1,2分のおうち。

近所に住んでた幼なじみといっしょに通っていたのですが
中2まで通ったので結構長くやってましたね。



先生がクリスチャンだったからか、
無駄な電気は全くつけず、
昼間は薄暗い部屋の中でレッスン。

冬はぬるい掘りごたつでのレッスンでした。

母に言わせると、
更にお茶が薄かったり、座布団が薄かったりしたらしいです。

でも、ステキな先生なんです。
優しいし。




最初の頃は
自分が何を喋ってるのかもあいまいで、
とにかく聞こえた言葉を覚えて繰り返してた。

教科書には台詞が載ってるけど、読めないんで。

でも今考えると
言語の覚え始めってそうあるべきですよね。

中学1年の学校の授業から入っていたら、
英語は嫌いになっていた気がする。


いや、英語だけじゃないかも。

英語を勉強したら国語も面白くなってきたし、
いまはフランス語の勉強までしてる。
(ちなみに来年はラテン語を学びたい。)

This is a pen.から
言葉を学び始めるのって
きっと変。

だから文法ばっかり気になって
上手く喋れないんだ。


私は逆に
文法ってほとんどちゃんと勉強したことがなくて
(それこそ中2くらいまでの文法までしかやってなかった)
本を買ってちゃんと勉強したのが4浪のいまごろ笑。



センターは何度も受けてるけど、
最初の文法問題がどうしてもできず。

正答率2割弱!

ハリーポッターは高1の時から読んでいたので
長文は好きでした。
分からない単語とかあってもなんとなくわかるし。

高2で英検2級を取得したものの、
あれも単語力と長文読解だけでなんとかなる。
ので、文法はずっとやってませんでした。



予備校では学科の授業を取っていなければ、
高校まででも塾に通ったことなし。

勉強のやり方に関して素人なんです。


なので
一から(ほんとに5文型の意味から)勉強した時には
『なんだよ〜そんな決まりがあったんなら最初から言ってよ〜』って
思ったものです。


なににしても基礎は大事ですよ。

でも基礎から入るのが
必ずしも正しいとは思わない
んです。

これは受験の実技に関してもそうでしたし、
さいきんやってる映像の編集なんかでも。

かならず基礎をすっ飛ばしちゃうんです。



だからかなりできるようでいて
肝心な所を分かってなかったり。


時間はかかりますが
もろいうわずみを何回も壊しては作り、壊しては作り、
ってやってる間に変な体力がついてくる。

そこへ基礎が入れば、
その先のやり方は分かってるわけだから強いんです。



家で例えるとドアのカタチとか
棚の位置とかばっかりこだわって
何度もぐちゃぐちゃに倒れちゃってたけど
基礎さえしっかり入れば
そのあとの組み方はバッチリ!

みたいな☆




結局なにが言いたいのかというと
勉強ってたのしい!
って今まで思って来られたのは
この周り道が好きだったからかもしれません。


中3で夏季講習だけ通った初めての塾も
『こんなんやってたら分からないことなんてなくなるじゃん!!!!』
っていうくらい革命的に
分かりやすいと思ったものでした。

1995年の夏〜9歳の思い出

ヤスタカさんの日記を読んで、
あ〜芸祭、とか思って
デスクトップのダッシュボードに『芸祭までのカウントダウンカレンダー』を
けっこう前(今年度はじめごろ)に設定してたことを思い出し、

久しぶりに開いてみたら
あと80日!!


なんかビックリですね。
すぐじゃん。

epa!も夏休み、着々とすすんでますよ。




1995年。
9歳。

芸祭で思い出したんですけど、
うちの小学校の文化祭は
いま考えると結構アートだった。

教室を丸ごと使って
お化け屋敷や迷路を作ったり、
水族館を作ったり、
ブラックライトで光る部屋を作ったり。

校庭に家を作ったときもあったな。
いまのいままで忘れてたけど。


運動会や音楽会より、
このイベントがたまらなく好きだった。

一日中その準備に時間を使い、
近隣のお店にダンボールを集めにいったり、
ガムテープの匂いで充満した教室とか

わくわくしてた。



期間は芸祭と同じ時期だった気がするし、
3日間やってたとおもう。

初めと終わりには
『オープニングセレモニー』と『エンディングセレモニー』があって、
扮装した校長先生が他の星から来た設定であいさつしたり、
キャンプファイヤーがあったり。

まだいまもやってるのか気になるところです。


準備はいつからやってたかしら。
夏休みはなにもやってなかった気がしますが。

まあ授業とかほとんど無い学校ですから
2学期の運動会が終わってからで間に合ってたかも。




ちなみに、
高校でも、アートな文化祭経験をします。

偶然とは思えないです。

1994年の夏〜8歳の思い出

地震、怖かったですね。

この辺は震度4とかでしたが、
だいぶ飛び起きてしまいました。

昨日バイトでお預かりした宅配便が、
まさに震度6弱の地域だったので
なんかドキドキしてます。大丈夫かなあ。

テレビ見てると土砂崩れが起きてたり、
大きな被害が出ているようですが
もし東海沖地震だったら、これの桁違いらしいです。

こわい。


救命病棟24時の再放送とか見てるだけで怖い。



数年後に大地震がくる。

と、言われ続けてはや十数年。
最初にその話を聞いたのが
この頃だった気がします。



1994年。
8歳。

小学校の校長先生に
考古学の教授が就いたこのころ。

朝礼のお話ではよく地震の話題が出ていました。



そんななか担任の先生は変わり、
図工の先生が私のクラスを担当していました。
(2年の時も別の図工の先生だったんですが)

ステンシルみたいなことをしたり、
電動糸のこでパズルをつくったり、
いろんなことをやったはずなんですけど
あんまり記憶なしです。笑。

クラスにYちゃんという子がいて、
入学して最初に仲良くなった子だったんですが
彼女はとても絵がうまかった。

お絵描き教室にも通ってて、
お母さんも美大卒。たしか。

もうひとりMちゃんという絵のうまい子もいて
私は彼女たちの真似をしたりしなかったり
このころの図工はあんまり面白くなくなってきた頃でした。



なんだかんだ、一番じゃなきゃいや。


絵を描くのが好きじゃなくなってきた。
とにかく、学校の『絵の具』が嫌いだった。
下書きが全部消えちゃうし。笑。


クラスでは
仲良しグループはみんなで同じ絵を描く
というのが流行っていて
だれが仲良しなのか絵で分かっちゃう感じでした。

今考えたら変な話だ。




結局、
Yちゃんは現役でタマビの日本画、
Mちゃんは1浪で芸大の油画、
というすばらしい感じで進学していきました。

二人とも絵を描く人になっていったわけです。

小学校の図工だと、
絵のうまい子がやっぱり優位に立つ。
上手いっていうか、すごく描くのが好きな子

でもそれだけじゃないんだよ、っていうのを
教えてくれたらいいのに、と思います。

図工は好きだけど、絵を描くのはあんまり好きじゃない。
これってなんだろう。って思ってた、

小学生の頃。

1993年の夏〜7歳の思い出

いや〜暑いですね。

毎日クーラーフル稼働です。

点けっぱなしで寝ちゃったりするから
喉が乾燥の危機にさらされたりします。

きょうは
『かはっっっ!』ってなって
のどの渇きで目が覚めました。

こんなときに限って
冷蔵庫の中には牛乳と豆乳いちご味くらいしかない。

一気に飲めるなにか!



前日に残してたミネラルウォーターでは全然足らず、
しょうがないから水道水一気飲み。

結局1リットルくらい飲んだ気がします。

水くらいは常備しておこうかな。

でも大量買いは重いんだよなー。

浄水石みたいなのが入った水入れ(1リットル)を
引っ越す時に持ってきたけど、
洗うのとかめんどくさくて半年で飽きてしまいました。






1993年。
7歳。

夏休みというものも板についてきた、
小学校2年生。

相変わらず宿題とかは無かったけど、
絵日記を描こうとして7月中に挫折したりはしてました。

夏休みに入って最初のイベントは
ピアノの発表会。

2年生のときが最初の発表会だった気がします。たしか。

あの頃は全然練習とか好きじゃなくて
どうにかして逃げる方法を考えていたけど
今思うともっと練習しとけばよかったー。

みんなが自分に注目してて、
聞きにきてくれる友達もいて、
っていうあの空気は
嫌いじゃなかった笑。

舞台裏の緊張感とか。



この頃、
習字も習っていたんですけど

こっちもそっちも
もっと表現を楽しめばよかった。



受験が終わる頃にも思ったことと共通です。
義務感でやってるとこから
自分で表現を楽しめるようになったら
なんとも楽しいはず。

きっとこれからもここが重要なんではないかと。

制約はどんどん増えますからね。




私は、小さい頃から絵が好きで、絵ばっかり描いて、、、
ってわけではなく
なんだかんだ的が定まらないまま今に至りますが
それはそれで良かったと思ってます。

でも経験は幅広い方がお得ですよね。



中高で部活がんばってた、とかいう人も
集中力とチームプレー力、体力などにおいて
中途半端は私よりも断然勝っているはず。

実際、元運動部は多いです。
そうじゃなかったら生粋の美術部。

っていうくらい。

1992年の夏〜6歳の思い出

昨日は『ハリーポッターと謎のプリンス』を観てきました。

第一作目を観たのがつい最近のことのようで
もう六作目なのかーと感慨深いです。

次の映画は2010年,11年らしく、
そのころの自分を想像すると
恐ろしいような楽しみのような。。

帰ってきて、
また読み返そうと
心に決めました。





1992年。
6歳。

インドアだったからーずちゃんは
小学校に入り、ますますインドアに笑。

カービィーとLEGOが好きな子でした。

自分で描いたイラストを
セロハンテープでラミネートして、
ドラマ仕立てのキャラクターごっこをしていた記憶があります。

学校はあまり好きじゃなかったから、
夏休みは楽しかったです。
宿題もなかったし。



というのも、私のいた小学校は
なんだか実験的な学校で、
授業はほとんとやらず、学級会ばっかりやってました。(6年間通して)

一般的な小学生が入学時にもらう、
さんすうセットがやたらとうらやましかったです。

この頃から
『文房具』というジャンルを知り、
学校の近くの文房具屋さんで
匂い付きの消しゴムとかメモ帳とか
買ってもらうのがすごく嬉しかった思い出があります。

この頃の将来の夢は
文房具屋さん。

作る方ね。

なにげなしに言ってたこれが
意外と今のやりたいことに結構近かったりして
思い出をひもとくとおもしろいです。

1991年の夏〜5歳の思い出

今日は学校に行っていたら二度のゲリラ豪雨!

こわいよ〜

ちょうど家に帰ってきてから
強く降り始めました。

みんな大丈夫だったかなー。

この時期の外出は気がきじゃないです。

明日は映画観にいくけど
大丈夫かなー。



あ、ちなみに私が傘を持って歩くと
たいてい雨は降りません。





1991年。
5歳。


この年の夏は
妹が生まれるか生まれないかで
(妹は11月生まれ)
私は弟と遊ぶ時間が増えたような思い出があります。

夏といえば
庭にプールを出して水遊び。

プールのあとはお風呂場で水風呂遊び。

初めて海に行って海につかった時には
大泣きした私。
お風呂も嫌いでしたが
家用のビニールプールだけは格別に好きでした。

今も昔も全然泳げないし、
今でもプールって好きじゃない。

でも家だとちがうんですよね〜。

特に水遊び用のおもちゃが好きだったような。

砂場も、砂より砂遊び用のおもちゃが好きでしたね。

うん。うん。



『かき氷パーティー』を自ら主催したりして
(かき氷機でかき氷するだけなんですけど)
いついつはかき氷パーティーだから、なんて楽しみにしてました。

『かき氷パーティーに呼んであげないよ?』って言うだけで
言うことをきく弟も、この頃はかわいかった。笑。


温暖化、温暖化とは言いつつも
調べてみると気温ってたいして変わってないんですね。
もうすぐ20年だ。早いな〜。



1990年代は
なんだかすごく最近のことのような気がします。
1995年とかは特に5.6年くらい前、
1999年は2.3年前みたいに思えて
私が30歳や40歳を迎えるのもすぐのような気がする
今日この頃であります。

1990年の夏〜4歳の思い出

今日もバイトでした。

バイトして家に帰って、
っていう学生を忘れるような毎日は
なんだかすごく不思議です。

最近は発注とかもさせてもらってて、
いくら入れたら良いんだろうとか考えるのは
社会の仕組みがかいまみえたような感じがして
ちょっとたのしいです。



そんななか、
店長の異動が決まりまして、
今の店長はあと一ヶ月です。

いままでいくつかバイトを経験してきましたが、
店長が変わるのをは3度目の経験。
チェーン店で働くのが好きなので。

今回は一年お世話になった店長だし、
複雑な心境です。

大きな企業って大変ですね。






1990年。
4歳。

からーずちゃんは4歳になり、
やっと幼稚園でも泣かないようになりました。

この頃ハマってたのは、
ダンボールの板に放射状に張り巡らしたタコ糸(たしかタコ糸)に
様々な毛糸を通していく、通称『くものす』。

簡単な織物みたいなかんじです。

中心から織っていって、円形に大きくなっていった織物を、
先生がクッションに縫い付けてくれたり、
小さいものは腕につけるアクセサリーにしてくれたり。

幼いながらも、
自分のした仕事が製品ぽく仕上がる、ということに
楽しみを見いだしていました。

工デ、ってかんじですよね☆



お絵描きも好きだったけど、
こっちの方が好きでした。



お菓子の空き箱を利用した工作も好きでした。

何かだったものが、カタチを変えて何かになる
みたいなことにも興味を持っていたのかも。



いうまでもなく、インドアっ子ですね。

1989年の夏〜3歳の思い出

最近、
ビデオカメラを買おうかどうか迷ってます。

どうせ今買うならフルハイビジョンがいいのだけど、
いかんせん一括で買うにはちょっと高い。

どうしても必要ってわけじゃないし。

でもほしいな〜。

子供が生まれたら、
きっと写真やらビデオやらがものすごい数になりそうです。

全然想像もできないのですが、
もうすぐ私は、
母が私を産んだ歳になろうとしています。

わお!




1989年。
3歳。

きょうだいの中で唯一、
私は年少さんのときから幼稚園に通っていました。

幼稚園。
行くのがいやでいやでしかたなかった思い出があります。

最初の頃とか
母と別れる時に泣きじゃくって大変だったらしいです。

お遊戯もやらない子でした。笑。

ピアノを弾いてる先生のとなりに、
小さいイスを出してもらって一人だけすわってる、という
写真が、幼稚園アルバムに載ってました。

運動会もいやでした。

かけっこでは
スタートからゴールまで
歩き通すという荒技をみせました。

うん、なんだか徹底してたんです。

なんかもうこの頃から頑固でした。



そんな私は
いまではパフォーマンスショーの記録をやってる。

常に見る側でありたいのでしょうか。

1988年の夏〜2歳の思い出

今日で6連勤もおわり。
明日はバイトが休みで学校でepa!の幹部会です。
(大きな団体ゆえ、報告会が必要なのです)

今日は一般大の女の子が
体調不良ということで早退してしまい、
人数が少ない中、閉店業務がんばりました。

あれは体調不良っていうより、
絶対眠いからだった!

なんかいろいろミスって店長に帰りなさいって言われてたのですが
どうやらテストが大変なようです。

ムサビにいると
テストより課題の方が大変ですからね。
こっちでいう課題みたいな感じなんでしょうか。。

テストなんてちょびっとですから。





では今日も。

1988年。
2歳。

この年の夏には、
弟が生まれました。

命名の習字に
字を書けない私も参加してた記憶があります。
(てんてんだけの習字の前で撮った写真が残ってました。)

なんだかいろんなことが新鮮で
かなりかわいがっていたような気がします。

弟は生まれた時から
体も態度もおっきくて
お世話するのも大変でしたけどね。

そんなわけで私はお姉ちゃんになりました。
私が不器用なのは
きっと長女だからです。



今ではそんな弟も専門学校生3年生。
服飾の勉強をしています。
今年が就活らしく、そのもようも気になるこのごろ。

その下に妹もいるのですが
妹もヘアメイクを勉強してる専門生なので
なんと社会に出るのは私が最後なんです。

まさかこんなことになろうとは。


私が就活する頃には
不景気がどっかいってたらいいな。

それにしても
3きょうだいでなにかできそうな感じです。

全然そんな風な道に進む気配とか
下の二人にはなかったのに。

1987年の夏〜1歳の思い出

明日で6連勤も一段落。

そろそろ疲れてきたよー。

他にもやらなくちゃいけないことがいっぱいあるのに、
複数のことを同時にやっていくのがとても苦手な私。

今年の手帳は、予定だけじゃなくて
その日にやろうと思ってることを書こうと、
大きめのを使ってるのですが
なんだかごちゃごちゃしてきちゃった。最近のページ。

そして、
今月下旬にちょっとだけ実家に帰る予定を
やたら楽しみにしてます。笑

前回帰ったのは3月末。
地元での用事のついでにほんとに寝に帰っただけのような感じで
次の日の朝には渋谷で写真学校だったので
半年くらい前ですね。ちゃんと帰ったのは。







1987年。
1歳。

ハイハイのできなかったからーずちゃんは、
立てるようになったのも遅かったそうです。

1歳を過ぎてもなかなか立てず、
通ってた小児科の先生に『大きな病院で診てもらった方がいい』と言われたみたいです。

母はあんまり心配してなかったらしいのですが
歩けない子だったら、、、みたいな可能性もあったみたいで
私は大きな病院に連れて行かれました。



結果はなんてこともなく、
『すぐ歩けるようになるでしょ』とのこと。

足の裏を筆でコショコショして、
くすぐったがったから大丈夫☆ってすぐに返されたらしいです。

そしてその晩、
私はいきなり立ち上がったらしいです笑



空気を読んだんでしょうか笑


鹿とか馬とか、生まれてすぐに立ち上がる生き物って
ほんとすごいですよね。



このあとも今に至るまで
運動は苦手です。

1986年の夏〜0歳の思い出

今日は空を滑空している夢を見ました。

眠りが浅いせいで、よく夢を見るのですが
今日のはなんとなく感覚的にリアルでした。

両手に少し余るくらいのアクリルボックスを抱えて、
巨大下りエスカレーターみたいなところを滑り降りて行くのですが、
後ろにはメガネっ娘がナビゲート。
『もっと右!』『落ちるよ!気をつけて!』みたいに。

ボックスを抱えてるから、下も先も見えないんです。

ボックスの底面で手すりみたいなところを滑ってて
その反動で時々空を飛んだりします。

言葉にすると相当変です。

スピードもあまりなく、ふわっと飛んだりします。

最終的にはコツをつかんで、
回転しながら着地しました。




なに、この夢。



そろそろ夢辞典でも買おうかと思う今日このごろ。

だれか詳しいひと、診断してください。





今日からは生い立ちシリーズ。

私は1986年の1月生まれなので、
最初の夏は同年、0歳のときです。

私は生まれたころから
眠りが浅かったらしく、
ちょっとした音で目を覚ましては
母に迷惑をかけていたようです。

逆に弟は何が起こっても起きないような子でした。

運動神経はこの頃から悪く、
ハイハイができない子だったみたいです。
おしりあるきってやつですね。

結局ずっとハイハイはできなかったみたい。
我ながらなさけない笑




その代わりオシャベリの方は
達者だったみたいです。

ちっちゃいときからメリハリがあったというか、なんというか。